masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

ラジオ文芸館 汐の恋文

今日は曇り空ですけど、お昼から暑くなりそうです。
今朝の ラジオ文芸館は、ハラハラドキドキの展開になるかと思ってました
けど、最後の秀吉の態度、秀吉は菊子に負けたのです。
菊子の態度に感動しました。

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「汐の恋文」 作:葉室 麟

文禄二年(1593年)、黒漆の小箱が九州・博多の津に打ち上げられた。
秀吉が朝鮮に兵を出し、途中で難破した船から流れ着いたものだった。
中には、肥前佐賀城主竜造寺政家の家臣、瀬川采女の妻・菊子が朝鮮の戦地に
いる夫へ宛てた手紙が入っていた。
書状を見て興味がわいた秀吉は、菊子を肥前名護屋城に呼び寄せ、
思いを語らせたが…。 
戦国時代末期、博多の津で見つかった、妻から夫に宛てた一通の恋文を
めぐる夫婦の絆の物語。
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この書状が起因となって、瀬川采女名護屋に 呼び戻され、あわや切腹かと。


文禄2年(1593)7月〜慶長3年(1598)8月肥前佐嘉の大名竜造寺政家の
家臣瀬川采女と妻菊子
文禄の役で朝鮮に出兵している采女に宛てた菊子の手紙の入った文箱が、
便船の難破により博多の津に打ち上げられる。
それを浜で拾った漁師が役人に届け出て、祐筆役を経由し、
名護屋に在陣中の秀吉の目に触れるところとなる。
秀吉の祐筆役山中山城守長俊が書状をあらためると、肥前佐賀城主竜造寺政家の家臣瀬川采女の妻である菊子が、戦地にいる夫へ宛てた手紙だとわかった。
読み終えて書状を畳む長俊の目に、感じ入る色が浮かんでいた。
「いかがした。竜造寺に仕えておる者の妻女は愚痴めいたことでも書いておったか。」
秀吉がなにげな訊くと、長俊は膝を進めて書状を差し出した。
長俊が差し出す書状を手にして読みだした秀吉は、興を覚えた表情をして目を輝かせた。
―床は海、枕は山とたちのぼる、胸のけむり晴るるまなき、涙の雨そそぎ、いつをかぎりの露の身の、消えやらぬほどもうらめしと、趣のある奥床しい文字で認められた手紙には、夫を恋い慕う思いが連綿と綴られている。
―思へば思へば、添ひまゐらせぬ昔もありつるに、こは何のむくいにておはしますぞや。
あさましかりつる我がこころかなとは思へども、よき止まらぬこころのくせとして、
また恋しう思ひまゐらせ、肥前佐賀城主竜造寺政家の家臣瀬川采女の妻である菊子が、
戦地にいる夫へ宛てた手紙である。

菊子が秀吉の呼び出しを受け、秀吉の面前で己の気持ちを告げる。
秀吉は菊子の容貌を見て、梅北国兼一揆を想起する。
梅北一族との関係を疑う。菊子が梅北国兼の妻爽子と自分の物語を秀吉に語る。
そして「わたしは愛おしく思う方とともに生きていけるなら、悲しみの涙を流しません」という爽子の言を伝える。
菊子の望みは采女を朝鮮から戻してほしいこと。秀吉は采女を呼び戻すと言う。
しかし、「それはそなたの身代わりとして処罰を受けさせるためじゃ。それが嫌なら、彼の地に留まるほかないのだ」と付言する。
生を求めるなら恋い慕う采女に会えない。采女が帰還すればそこには死が待ち受ける。
二律背反の発生。菊子の愛の苦悩が始まる。
呼び戻された采女は、菊子の心情を知り深く感歎する。
采女の器量が爽やかである。
「されば、ともに参ろう。ふたりならば、あの世への道も寂しゅうなかろう」
これは、秀吉が登場するまでに山里丸の大広間での采女が菊子に語る
言葉。
しかし、秀吉は処罰も何もしなかった。