masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

藤山一郎さんの長崎の鐘

今朝のラジオ文芸館は「行きずり」 作:小松 左京でした。
小松左京さんの文章は、大変きめ細かい表現です。
少し聞き損なったところがありますので、ユーチューブでまた聞いて整理します。
江戸時代後期の文政年間、道具屋を営む藤助は、山道で食あたりと豪雨にいっぺんに襲われる。
助けてくれたのは奇妙な身なりをした中村良太郎と名乗る男だった。
中村良太郎は実は昭和50年に生きるサラリーマンだった。
不可思議にも150年の時空を超えて出会った二人が親しくなった末に感じたものは…。
人と人とが「つながる」とはどういうことなのか、人の「情」とは何かを現代人に問いかける。
語り::真下 貴

さて、昨晩は午後7時半から、「ヒロシマナガサキから未来へ」をテーマに、原爆の被害と向き合いながら復興を成し遂げた2つの都市を「歌の力」で結びつける音楽番組「いのちのうた」を見て、久しぶりにきれいな音楽を聴いた感じでした。
司会の秋川雅史被爆地長崎を訪れ、浦上天主堂で「長崎の鐘」「千の風になって」
を歌うなど、良かったですね。
でも、「長崎の鐘」はやはり藤山一郎さんが一番良いですね。
秋川雅史さんは確かに歌唱力はすばらしいでしょうけど、藤山さんの歌は心があり、魂が揺り動かされるものがあって、目頭が熱くなります。
むかし、長崎の定期観光バスに乗った時、バスガイドさんの案内と「長崎の鐘」の由来を聴き、ガイドさんが熱唱された時のことをよく覚えてます。
明治41年2月3日,島根県に生まれた永井博士は,医者を目指して長崎医科大学に入学し,卒業後は放射線医学を研究した。
研究熱心な永井博士は,このころ治らない病気と言われていた結核を研究するために,一日に何百人ものレントゲン写真を撮るという無理が重なって,37才の時,白血病にかかってしまった。しかし,その後も病気の体をおして,熱心に治療と研究を続けていた。
昭和20年8月9日,午前11時2分。長崎に原子爆弾が落とされ,この1発の爆弾で15万人もの人々が死んだり,けがをしたりした。
この時,永井博士もこめかみの血管を切るという大けがを負ったが,「如己愛人」
(自分と同じように人も愛する)の精神で,自分のけがの手当は後回しにし,生き残った看護婦を集め,自分が失神して倒れるまでの3日間,必死にけがの手当にあたった。