masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

阪神大震災17日で20年

私は神戸のことは全然わかりません。
神戸と言えば、32年くらい前でしたか「神戸ポートピア'81」に遊びに行ったぐらいです。
その前後の記憶はほとんどなく、川西に戻り能勢電鉄に乗り、当時兄の住んでいた鶯の森に行った記憶しかありません。
ただ、鶯の森といっても造成地で家が少し建ってたくらいと、能勢電鉄の運賃が高いと思ったくらいです。
20年前、朝7時にテレビをつけますと、町の至る所で煙が上がってて、最初何事かと理解できませんでした。
テレビの全てのチャンネルが神戸の中継で、ただ驚きばかりでした。
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で20年になりました。
追悼行事の会場となった神戸市の公園では、犠牲者を悼んであかりをともす竹の灯ろうを並べる作業が行われました。
神戸市中央区の東遊園地では、毎年、震災が起きた1月17日に竹の灯ろうに入ったろうそくに火をともして犠牲になった人を追悼する行事が行われました。
会場では16日、ボランティアの人などが参加して震災が起きた日を示す「1.17」の形に並べる灯ろうは、犠牲者と同じ数が用意されました。
参加者たちは、筆を手にしてひとつひとつの灯ろうに「絆」や「愛」といった言葉を書き入れていました。
参加した神戸市の女性は、「震災から早くも20年かという気持ちがこみ上げるとともに当時の恐怖が思い出されます。震災のことを忘れないようにしたい」と話していました。
また「20歳以下の方は震災を体験していないので若い人にも思いが受け継がれていけばいいと思います」と話していました。
17日は午前5時からろうそくに火がともされ、地震が起きた午前5時46分に黙とうをささげました。

また、23人が亡くなった兵庫県伊丹市でも、ろうそくに火をともして、犠牲者を追悼する行事が行われました。
伊丹市では震災の翌年から毎年、1月17日の前日に、ボランティア団体が「あなたの思いを灯してください」と名付けた追悼行事を行っています。
会場の昆陽池公園では、震災の犠牲者の数と同じ6434本のろうそくが並べられ、集まった地域の人たちが、「安らかに眠ってください」とか、「あの日を忘れない」などと書き込んだ手作りのろうそくに火をともしていきました。
そして、地震が起きた12時間前にあたる16日の午後5時46分に全員で黙とうをささげました。
20年前の震災で、伊丹市では阪急伊丹駅が倒壊して警察官が亡くなるなど、23人が犠牲になりました。
と中学2年生の女子生徒は、「亡くなった方たちのためにも震災を忘れないという思いを込めて参加しました。このような行事に積極的に参加して震災を語り継いでいきたい」と話していました。
一方で、阪神大震災の被災者が暮らす兵庫県内の災害復興公営住宅などで、誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」が、この20年間で千人を超えていたことが16日、共同通信のまとめで分かりました。
入居者の高齢化率も県の調査開始以来、初めて5割を超えたということです。
街は復興し、記憶の風化が懸念される中、新たな課題を突き付けられている。
兵庫県警の検視結果を基にした集計によると、災害復興公営住宅での2000〜14年の孤独死は計864人。(共同)