masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

義士まつり(赤穂十七義士慰霊祭)

熊本県山鹿市日輪寺の境内には、忠臣蔵で知られる赤穂義士十七士の遺髪塔があります。
元禄十五年(1702)十二月十四日(実際は十五日午前三時)の赤穂事件で、本懐を遂げた赤穂義士四十七士のうち、大石内蔵助良雄を始めとする十七士の遺髪が納められています。
本懐後、義士たちは四大名(細川家、松平家、毛利家、水野家)にお預けになります。
芝白金(現在の東京都港区)の細川藩邸にお預けになったのは大石内蔵助良雄を始めとする十七士でした。
内蔵助らを預かった細川家では、それをたいへん名誉であると喜び、藩主綱利公自ら義士たちを出迎え「武士の鑑だ」と激賞しました。
そして十九人の接待役(正しくは義士接伴役)をつけ、藩主と同じ食事を用意し、書物、眼鏡、こたつ、風呂などのあらゆる待遇で義士たちをもてなしました。
その接待役の一人が堀内伝右衛門でした。
伝右衛門は、義士たちに特別な思いを抱き、義士たちが切腹するまでの50日間、日夜その接待に全力を傾けました。義士の親族に手紙を届け歩いたり、義士たちの話しを聞いては、くわしく書きとめていきました(堀内伝右衛門覚書)。
義士たちは、彼らの遺言により浅野家墓所泉岳寺に葬られましたが、切腹の日が近づくと、伝右衛門はせめて遺髪なりともと義士たちに願い出て、遺髪をもらい受けることになりました。
元禄十六年(1703)二月四日、義士たちの切腹により接待役の役目を終えた伝右衛門は、遺髪を知行地である山鹿へ持ち帰りました。
そして、菩提寺である日輪寺に遺髪塔を建て、八十三年の生涯を閉じるまで、遺髪塔を守り続けました。
現在も遺髪塔は地元の堀内組の方々に守り継がれ、毎年2月4日の義士命日には「義士まつり」が行われ、遺髪塔前で慰霊祭が行われています。