masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

ラジオ文芸館 「秘密」 作:藤沢 周平

「秘密」 作:藤沢 周平

由蔵は、ぼんやりした頭で若い頃のある記憶を必死に思い起こそうとしていた。
おみつは、舅の由蔵が庭先に出て地面を見つめている姿が気になって仕様がない。
しかし、由蔵はある女のことを考えていたのである。
由蔵は若い頃、奉公先の金に手をつけた事がある。その時、誰かに見られた。
それは間違いなく女だった。
自分の人生の大きな転機となった瞬間に出会ったひとりの女はいったい誰だったのか…。
語り:石澤 典夫

由蔵は筆屋「鶴見屋」の主人康次郎の父親、七十六歳 手代から婿になり、一度傾いた鶴見屋を建て直し、必死に働いて店を建て替えるまでに盛り返したりもした
おみつは康次郎の女房、十七のとき嫁にきて三十八歳になり、いつもと様子が違う、じっと地面をみつめたまま動く様子もない舅を心配して、康次郎と一緒に出かけることになっていたのをやめにした。
由蔵の眼は、瞬きもしないで、二、三間先の地面を見つめている。 
哀しげにも見え、険しくも見える顔だった。
今朝おみつに結ってもらった髷(まげ)が、小さく頭にのっている。
ところが、由蔵は女のことを考えていたのである。
あるひとつの記憶が浮かんできたのは、朝おみつに髪を結ってもらっているときだった。
由蔵は「鶴見屋」に奉公していた20代の頃、真面目に筆と紙を持って外回りをしていた。
ある日、旗本屋敷に品物を持って行ったときに、屋敷の奉公人「たつへい」からお茶を飲まないかと誘われ、たつへいの長屋に行った。
そして花カルタのばくちにしつこく誘われ断れなかった。
由蔵は花かるたに対して、全く嫌いでなく知ってたこともあり、深みにはまってしまった。
そうこうするうち、負けは5両にもなっていた。
たつへいは「明日返してくれないなら、鶴見屋に乗りこむぞ」と脅した。
そんなことをされたら、すべておしまいだ。
由蔵は金策の手だてがなく、生涯たった一度の悪事に手を染めてしまう。
鶴見屋の主が留守の時、茶箪笥の引き出しにある金を掴んで、部屋を出ようとしたとき、女は言った。「私は見てしまいました。けれど、誰にも言いません」と。                      
それは誰だったのか、わからずにずっと今考え込んでいる由蔵だった。
それから、記憶がはっきりとして、その女はお若だと分かった。
由蔵は真面目な働きぶりを認められ、3年後に鶴見屋の娘「お若」と結婚し身代を引き継いだ。
お若が、両親に告げ口をして、事を荒立てるなら、由蔵の生涯には烙印が押され、この時点で大きな躓きとなるわけです。
もはや、彼は立ち直ることが出来ないかもしれない。
しかも三年後、お若は由蔵を婿に迎えるわけですね。
両親はこの三年間の働きぶりを買っているわけでしょう。
でも、お若はそれ以上のことを実は知っているのですよ。
親から促されて、親のいうままに婿取りをしたわけではないのはなぜでしょう。
以前からお若が由蔵と恋仲だったら別ですけど。