masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

童謡「われはうみのこ」は本当は軍国歌?

「われはうみのこ」で始まる歌は、この歌のほかに『琵琶湖周航の歌』がある。こちらは「われは湖の子」である。
JR西日本の運行する特急『くろしお』の古座駅到着時の車内チャイムに使用されていた。
また、尾道駅の接近メロディーとして使用されている(一時期は使用を取りやめていたが後に復活している)。その他、七尾線の一部の駅でも夏季限定で使用されている。
近鉄特急の23000系「伊勢志摩ライナー」などの車内で、鳥羽駅到着前のチャイムに使われている。
以前は「海(「海は広いな」で始まる)」だった。

われは海の子 −戦後教科書から消えた4番以降の詩−  童謡唱歌こぼればなし
『われは海の子』は、明治43年(1910年)『尋常小学読本唱歌(六)』に掲載されました。
『尋常小学読本唱歌』は、国語の読本『尋常小学読本』に掲載された詩に曲を付けた、文部省が編纂した初めての唱歌の教科書です。当時は7番まで掲載されていましたが、軍国主義的表現があるとして4番以降の歌詞が戦後(太平洋戦争)に教科書から消えました。

           われは海の子
                      作詞 宮原晃一郎
                      作曲 不   詳

      1.我(われ)は海の子 白浪(しらなみ)の
         騒ぐ磯辺の 松原に
         煙たなびく 苫屋(とまや)こそ
         我が懐かしき 住家(すみか)なれ

       2.生れて潮(しお)に 浴み(ゆあみ)して
         浪を子守の 歌と聞き
         千里(せんり)寄せくる 海の気(き)を
         吸いて童と なりにけり

       3.高く鼻つく 磯の香(か)に
         不断(ふだん)の花の 香りあり
         渚の松に 吹く風を
         いみじき楽(がく)と 我は聞く

     ーー−ー戦後教科書から消えた歌詞−ーーー

      4.丈余(じょうよ)の櫓櫂(ろかい) 操(あやつ)りて
         行手(ゆくて)定めぬ 浪(なみ)まくら
         百尋千尋(ももひろちひろ) 海の底
         遊びなれたる 庭広し       

      5.幾年(いくとせ)此處(ここ)に 鍛へ(きたえ)たる
         鉄より堅(かた)き 腕(かいな)あり
         吹く塩風に 黒みたる 
        肌は赤銅(しゃくどう) さながらに

       6.浪にただよう 氷山も
         来(きた)らば来(きた)れ 恐れんや
         海まき上(あ)ぐる
         たつまきも 起(おこ)らば起(おこ)れ 驚(おどろ)かじ

       7.いで大船(おおぶね)を 乗り出して
         我は拾わん 海の富(とみ)
         いで軍艦(ぐんかん)に 乗組みて
         我は護(まも)らん 海の国


『苫屋:とまや』
苫(とま)で屋根を葺いた(粗末な)家。
苫(とま)というのは菅(すげ)・茅(ちがや)などで編んだ、菰(こも)のようなもの云い、
小屋や舟を覆って雨露をしのぐのに用います。


『不断の花:ふだんのはな』
不断草。アカザ科一年草または越年草。高さ約1メートル。
葉は大きく細長い卵形で、縁が波形にうねっています。6月ごろ、多数の黄緑色の小花をつける。
若葉は食用として利用されます。ホウレンソウに似ていますが比較的季節に関係なく利用できるので
『不断草』と呼ばれ恭菜とか唐萵苣(とうぢさ)とも呼ばれています。

『いみじき』
形容詞で“著しい”とか“重大な”とかいう意味。副詞“いみじくも”と同様、“巧みな”とか“素晴らしい”とか
の意味で使われています。

『丈余(じょうよ)のろかい』
丈余は、一丈あまり。一丈は十尺で、約3メートル。
『ろかい』は『櫓櫂』で、和船を漕ぐ道具。

『百尋千尋:ももひろちひろ
『尋:ひろ』は、水の深さ、縄などの長さの単位。
一尋は六尺(約1.8メートル)で、左右に広げ延ばした両手先の間の長さです。『百尋千尋は』、
“とっても深い”という意味です。

『腕:かいな』
腕そのものを云います。

『赤銅:しゃくどう』
銅に金3〜5%を加えた合金で象嵌(ぞうがん)細工などの日本の工芸用に使われます。
赤銅色:日焼けした皮膚の色。

『いで』
感嘆詞で「さあ」とか「いざ」とかいうのと同じ意味です。


私の感覚では1番から5番までの詩は、海の原風景と海に生きようとする様が良く表現されていると思います。
したがって4番と5番も残しても良かったのではないかと思っています。
6番以降の歌詞を見ると、当時の海に生きる男の心意気と夢を表したものとは思われますが、愛国心の高揚を、強く意識して書かれたような気がします。