masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

忠犬ハチ公(2)

忠犬ハチ公[編集]
渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供の悪戯の対象となっていた。
一方、上野を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉は1932年(昭和7年)、

渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を新聞に寄稿した。
これは東京朝日新聞に、「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、その内容は人々の心を打った。
ハチに付いては翌1933年(昭和8年)にも新聞報道され、さらに広く知られるようになり、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれかわいがられるようになる。
ハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになり、またその人気から渋谷駅はハチが駅で寝泊りすることを許すようになった。
ハチの晩年を写した写真では左耳が垂れているが、これは生まれつきのものではなく、野犬に噛み付かれた際の後遺症である。
1933年(昭和8年)11月、ハチが世界的な愛犬団体「ポチクラブ」から表彰される。
1934年(昭和9年)、ハチが映画『アルプス大将』(監督:山本嘉次郎)に出演する。
この映画で生きているハチを見る事ができる。

ハチの死亡[編集]
青山霊園にあるハチと上野英三郎の墓所
上野が死去してから10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、ハチは渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口で死んでいるのを発見された。
ここは渋谷駅の反対側で、普段はハチが行かない場所であった。
ハチの死後、渋谷駅では12日にハチの告別式が行われ、上野の妻・八重や、富ヶ谷の小林夫妻、駅や町内の人々など多数参列した。
また、渋谷・宮益坂にあった妙祐寺の僧侶など16人による読経が行われ、花環25、生花200、手紙や電報が180、200円を超える香典など、人間さながらの葬儀が執り行われたという。
ハチは上野と同じ青山霊園に葬られ、その墓は亡き主人の墓のすぐ隣に寄り添うように立てられた。
死体は坂本喜一と内弟子の本田晋によって剥製にされ、現在は東京・上野の国立科学博物館に所蔵され、幾度となくメディアにも登場している。

ハチの死因[編集]
ハチが死亡後、間もなく、死体の病理解剖が上野の勤務先であった東京帝国大学農学部において行われた。
解剖の結果、ハチの心臓と肝臓には大量のフィラリアが寄生し、それに伴う腹水が貯留していた。
また、胃の中からは焼き鳥のものと思われる串が3 - 4本見つかっている。
解剖後、ハチの剥製が作成されたが、内臓はホルマリンに漬けられて保存された。
これら臓器については2010年(平成22年)暮れから検査が行われ、重度のフィラリア症であったことが確認されたとともに、心臓と肺には重度の癌も見つかった。
この再検査の結果が2011年に発表され、死因としてはフィラリアと癌によるものと結論された。
ハチの臓器標本は現在、東京大学農学資料館(弥生キャンパス農正門入ってすぐ右)に展示されており、フィラリアが寄生している様子も観察できる。