masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

シャボン玉 (唱歌)は鎮魂歌とは

きょうも熊本市は、良く晴れまして、気温は平年より郄く2月とは思えない暖かくなりました。
けさの最低気温は熊本市で1.1度で、最高気温は17.2度でした。
南小国は最高気温が18.5度になり、日較差は22.5度になりました。
県内の最低気温、菊池で氷点下2.2度、人吉市で氷点下2.1度で、南小国で氷点下3.5度、阿蘇乙姫で氷点下4.1度でした。
きょうもお布団や毛布などを干しました。
さて、先日「ラジオ深夜便」を聞いてましたところ、童謡「シャボン玉」の誕生のお話があり、鎮魂歌と知り驚きました。
『シャボン玉』は、野口雨情作詞、中山晋平作曲による日本の童謡・唱歌
野口雨情は、明治41年3月に長女みとりを生まれてすぐに亡くしている。
童謡『シャボン玉』には、はかなく散った娘への切ない想いが込められているとの解釈もあるようだ。
童謡としては1923年(大正12年)に中山晋平の譜面集「童謡小曲」に発表されたが、 詩自体が最初に発表されたのは1922年(大正11年)のことである。 仏教児童雑誌『金の塔』にて発表。
昭和11年には野口雨情によって「シャボン玉」の3・4番の詩が追加された。
歌詞にはシャボン玉で子どもが遊んでいる様子が描かれているが、これに夭逝した子供への鎮魂の意を見出す説もある。
1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。
人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった。
当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2〜3割の子供が学齢前に死亡していた。
そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。
雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。
雨情は後に生まれた娘・恒子も亡くしている。
当時、2歳。1924年大正13年)9月のことである。
そしてある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である。

また、日本人に最も愛唱された讃美歌が、童謡『シャボン玉』の原曲だとする説があります。
日本人が始めて日本語で歌い、日本人に最も愛唱されたと言っても過言ではない讃美歌461番「主われを愛す」。
元々の歌詞(英語)は1860年に出版されたアンナ・ワーナー(Anna Bartiett Warner/1820-1915)の小説「Say and Seal(1860)」の第2巻第8章の一節。
主人公の少女フェイスが見守るなか天に召されようとする幼いジョニーの口から漏れ聞こえる歌であった。
その後David Rutherford McGuireによって新たな節が加えられ、1862年にブラッドベリー(William Batchelder Bradbury/1816-1868)によってメロディーが付けられた際、コーラス部分が付け加えられた。
この「主われを愛す」のメロディーは、明治26年には唱歌「運動」、明治後期には唱歌「虹」など、日本でいくつかの唱歌に用いられている。

歌詞[編集]
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ