masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

童謡 赤とんぼの意味

ラジオ深夜便で、赤とんぼの内容を聞いて驚きです。
「おわれてみたのは」とは、「背負われて見た」とは初めて知りました。

『五年生の音楽』(文部省)昭和二十二年発行では、タイトルは「赤とんぼ」で、四分の三拍子、変ホ長調に移調してあります。
作詞 三木露風、作曲 山田耕筰と書いてあります。

(露風が詩作のため)ぼんやりと夕景色を眺めていたら、赤とんぼが竿の先に止っているのが見えた。
夕暮れの赤とんぼといえば、(記憶も定かでない幼少の遠い昔)姐やの暖かい背中におんぶされて見たことがあるような気がするが、あの懐かしい記憶はいつ頃のことだったのだろう。
姐やといえば、(もう少し大きくなった頃)小さな籠を持って、手を引かれて桑の実を取りに行った記憶があるが、あれは本当に優しい姐やだったのだろうか。
その姐やも(自分が学校へ行くようになってお里に帰り)十五の若さで(遠くに)嫁に行ってしまい、その後消息も分からなくなってしまった。
姐やは今頃何処でどうしているのだろうか?
この詩は赤とんぼのことを詠んだものでなく、作者の遠い日の、姐やに対する恋情に近い淡い心を思い出として詠んだものである。

歌詞:『赤とんぼ』

夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだは まぼろし

十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
2012-10-20

(一)
夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
<小焼け>というのは、日が落ちて暮れゆく空に残る微かな赤い残照だと思われてました。
確かに辞書には記載がないが、誰かある詩人が、暮れゆく空の移ろいを表わすために造語したのだろうと思う。
他の例では、中村雨紅作詞「夕焼け小焼け」では<夕焼け小焼けで日が暮れて>とあり、野口雨情の「波浮の港」には<磯の鵜の鳥ャ日暮れにャ帰る、波浮の港は夕焼け小焼け>というのは明らかに空の移ろいと、時の流れも表わしている。  
<負われて見たのは>は<追われてみたのは>の誤植ではないか、と思われましたけど、平仮名で<おわれてみた>と書いてあるのを見て、露風の原詩にも<負われて>とあり、意味は間違いなく<背中におんぶされて見た>の意味である。
そしてこの<負われて見た>は三番の<姐や>に絡んだ、詞全体の重要な部分なのである。
<いつの日か>とあるのは、まだこの頃は記憶が曖昧なためでしょう。  
(二)
<山の畑のくわの実を>
くわの実とは、蚕に食べさせる桑の木で、桑の葉を取ってしまうと、桑の木は丸坊主となり、その後ボツボツと熟す桑の実は、野鳥の啄みや、子供のおやつなどに放置される。
桑の実は葡萄の房を極く小さくしたような濃紫の実で、時期には学校帰りの子供がお歯黒のように口を紫色に染めているのが見られたが、市販されるような果物ではない。
桑の実は極小なので、小いさい籠に摘んでも一時には食べ切れない。
<小籠に摘んだはまぼろしか>となっていますけど、おんぶされていた露風が1・2年後の四歳前後で、歩けるようになり、記憶も比較的定かになって来た頃、姐やに手を引かれて桑の実摘みに山の畑に行った姿を彷彿とさせる。
ただ、原詩の一番の記憶がごく薄い<まぼろしか>で、二番の記憶が少し曖昧にすぎない<いつの日か>と表現されていて、経時的なものを表わしていたのに、童謡の歌詞では、一番が<いつの日か>、
二番が<まぼろしか>と逆転してしまった経緯は分からない。
三木露風自身が関与した変更なので、原詩一番が<山の空>と感覚的なものであったのに対し、童謡歌詞一番を<赤とんぼ>と具象的に変えたためかも知れない。
(三)
<十五でねえやは嫁にゆき>は露風が15歳の時、姉さんがお嫁に行ったと捕らえられますが、最近は<ねえや>と平仮名だが、原詩は<姐や>となっているのでBGMの歌詞表示も<姐や>とされています。
<姐や>は貧困な家庭から裕福な家庭の幼児の子守にくる子守娘のことで、十歳前後の少女だった。
貧困家庭から年季奉公のように裕福な家庭に来る人を、爺や、婆や、女中、書生、姐やなどと呼んだとされてます。
従って、<姐や≠姉さん>であるが、<露風十五歳のとき姐やが嫁にいった>と言うのは次に挙げる理由で年齢的に合わない。
姐やが子守り奉公に来るのは早くて十歳(今の小学校の四年生)頃であろう。
その年齢でなくては、その娘の知力・体力の関係で、奉公先も安心して幼児のお守りを任せられない。
一番の<負われて赤とんぼを見た>露風の年齢は物心の付く三歳前後だったと思われ、姐やは十二、三歳ころと想定される。
つまり十歳前後の開きがあり、露風が十五歳の頃姐やは二十五歳前後となり、嫁にゆくには江戸時代では大年増、当時としても<乳母桜(うばざくら)>であろう。
従ってここは、露風五歳頃まで三木家に奉公していた姐やが十五歳の若さで嫁いでいった、というのが詩として抒情的で妥当であるとおもわれる。
<お里のたよりも>は何処から何処へのたより?
当時他家に嫁いでゆくということは、輿入れと呼ばれ、その家及び親姻戚のものとなるということで、乙女として強い関係のあった物事、人々、家々との訣別を意味する。
実家(お里)ですら冠婚葬祭以外は交信が途絶える時代だから、子守娘として奉公していた家に本人から手紙を出すなど余程の事情がなければ考えられない。
<姐や>の輿入れは、その直前まで三木家に子守娘としていたのか、子守り奉公を終えて実家に帰って暫くしてからかは判然としないが、本人から話はあったろうし、実家から”も”「娘は嫁に行きます。お世話になりました」
という便りがあって、それ以来姐や自身や実家(お里)からの姐やの消息は三木家にはプツンと途絶えてしまった、ということが考えられる。
但し、童謡「花かげ」の三番には、♪遠いお里のお姉さま私は一人になりました♪ という部分があり姉の嫁ぎ先を<お里>としている。
これは童謡「里の秋」などと同様、実家のみではなく<場所・地方・田舎>の意の<お里>であると思われ、これも<お里のたより>=<姐やの消息>と解釈するのが妥当だとする所以だ。
(四)
<夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先>
この<赤とんぼ>は三木操(露風)32歳の時に『樫の實』に発表した『赤蜻蛉』を童謡としたもので、その詩作を考えていた頃露風は、夕焼けの中で竿の先にとまっている赤とんぼを見て、幼い頃の夢か現(うつつ)か幻の中で、姐やにおんぶされて見た夕空の中の赤とんぼを思い出し、暖かい背中に限りない慕情と郷愁を感じてこの詩を書いたのである。
子供心に、一番の歌詞で歌って、四番の歌詞はその赤とんぼの具体的説明と思っても仕方ないが詩から想起するものはガラリと変わる。