masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

福岡の予備校生殺害、背後から襲撃か 背中に複数の傷

きょうの熊本市は晴れ時々曇りで、気温は平年より5度低かったです。
けさの最低気温は熊本市で氷点下2.1度で、最高気温は8.4度でした。
県内の最低気温、菊池で氷点下5.5度、人吉市で氷点下1.5度で、南小国で氷点下6.5度、阿蘇乙姫で氷点下7.4度でした。
今朝は3月になったのに、真冬並みに本当に冷え込みました。
さて、予備校生殺人事件で、殺害された北川ひかるさんは私の後輩になります。
後輩といっても、45年前卒業した母校が同じだけですけど。
北川さんは昨年は九大に合格したけど、今年東大を目指したと聞いてます。
しかし、死人に口なしで、トラブルあったなど言って、加害者の男には腹が立ちます。
しかも背後から、斧まで持ち出して襲うなんて、卑劣極まりない犯行です。
こんな男には治療受ける資格はありませんね。
ただ、この男も熊本県人とはがっかりです。

福岡市西区の路上で2月27日夜に刺され死亡した予備校生、北川ひかるさん(19)=同区=の後頭部や背中に、刃物による複数の傷があったことが捜査関係者への取材でわかった。
福岡県警は、北川さんが背後から突然襲われた可能性があるとみて調べている。
また、28日、搬送先の病院で死亡が確認された福岡市西区姪の浜3丁目、予備校生北川ひかるさんの司法解剖を実施。死因は出血性ショック死と発表した。
北川さんの首や顔、後頭部など計数十カ所に刺し傷や切り傷があり、手には凶器を防ごうとしてできた傷もあった。
事件直後には同じ予備校に通う少年(19)=同市中央区=が手にけがを負い、「女性を刺した」と交番に出頭。
県警は回復を待って殺人容疑で逮捕する方針。
捜査関係者によると、現場に逃げ回った形跡はなく、後頭部や背中の傷は背後から突然切りつけられてできた可能性があるという。北川さんは当時、帰宅途中だったとみられる。
少年は出頭した際、「(北川さんに)ばかにされたと思い、腹が立った」などと話し、2人の間にトラブルがあったという内容の説明をしたという。

北川さんが倒れていた近くで凶器とみられるナイフ2本と小型のおの(いずれも全長二十数センチ)が見つかり、一部に血痕が付着していた。
司法解剖では、北川さんの首と顔に刺し傷や切り傷が集中しており、胴体や足も複数回、切り付けられていたことが分かった。
両腕や手のひらなどに、抵抗した際にできたとみられる傷もあったという。
少年は現場から走って逃げたとみられるが、同日午後9時すぎ、約400メートル離れた交番に「知り合いの女性を刺した」と言って現れた。
県警によると、両手の指の付け根付近に全治1カ月の傷があり、現在治療中。
現場には凶器とみられるナイフ2本とおのの他に、少年の携帯電話が残されていた。
県警は携帯電話を解析し、2人のやりとりがなかったか調べる。
警察は1日、福岡市内の少年の自宅と熊本県内の実家を殺人の疑いで捜索しました。
北川ひかるさんは、熊本県進学校を卒業した後、福岡市の予備校に通い難関国立大を目指していた。
前期試験を終え、結果を待ちながら勉強を続けていたさなか、突然に奪われた未来−。
剣道やダンスもこなす自慢の孫を思い、祖母は「なんで殺されないかんかったとですかね」と言葉を絞り出した。
祖母の北川キヨカさん(78)は28日早朝、親族からの電話で事件を知った。
幼いころに父親の勧めで剣道を始め、学業もトップ。中学時代は生徒会長も務めたという。
「皆さんにほめられる優しい孫。みじょかで(かわいくて)みじょかで。『ミスコンテストに出てみらんね』と言うと、ニコッとしてね」
地元では夏に成人式が開かれており、ひかるさんも20歳を迎える今年、参加するはずだった。
キヨカさんの自宅玄関には、レンタル振り袖のカタログが積まれている。
「着物姿を見たかった。大学生活も楽しみにしとったとでしょうね…」。
キヨカさんは手に取ったカタログに目を落とした。
地元天草を離れ、熊本市内の県立進学校に進んだひかるさん。
ダンス同好会に所属していたが、人数の足りなかった剣道部から助っ人を頼まれ、大会に出場したという。
当時の恩師は「稽古に意欲的で、剣道部員からも信頼されていた。おしとやかで控えめだったけれど、いつも明るい印象だった」。事件を「信じられないし、本当にショックだ」と話す。
ひかるさんは昨年4月から、福岡市西区のアパートで兄と一緒に暮らし、同市中央区の予備校に通っていた。
アパート前で兄は「まだ気持ちの整理が付いていません」と言葉少なに語った。
予備校の責任者は取材に「非常にまじめで模範的な生徒だった。難関国立大の文系を目指し、前期試験の結果を待ちつつ、後期試験の出願届を出していた」と説明。トラブルなどは把握していないという。
=2016/02/29付 西日本新聞朝刊=
北川さんの父洋二さん(53)が29日、熊本日日新聞の取材に応じ、「犯人が誰かも分からない中で何も言えないが、娘を返してほしいという気持ちだけだ」と胸中を語った。
北川さんは昨春、熊本市内の県立高を卒業後、予備校に通っていた。
関西の有名国立大の法学部を受験し、合格発表を待っていたという。
洋二さんは「子どもの頃から学校の先生になりたいと言っていた。
正義感が強い子だったので、検事が向いているんじゃないかと助言した。
それで法学部を受けたのかもしれない」と涙ぐんだ。
洋二さんは同日、警察を通じて手記を公表し、「親兄弟を大事にするやさしい娘。家族にとって宝でした」と無念の思いをつづった。
北川さんの通夜は同日、生まれ育った天草市牛深町の斎場で営まれた。
みぞれ混じりの雨が降るなか、同級生や知人ら約300人が参列。
祭壇には、ほほえんだ北川さんの遺影が飾られたという。
北川さんは小学生から剣道に打ち込み、中学校で成績は常にトップ。
剣道部で一緒だった中学校の同級生の女性(19)は「明るくていつも笑顔。負けず嫌いなところもあり、試合で負けたときは悔しさで泣いていた。夏の成人式で、再会できると楽しみにしていたのに」と涙をぬぐった。
牛深への愛着も強かった。中3だった2011年には、天草市議会の「子ども議会」に登壇。
「天草を好きになってもらうために、牛深ハイヤ祭りなどのイベントでおもてなしを」と地元の観光振興を提案したという。
幼稚園の時に担任だったという50代女性は「娘も同級生でわが子のように思っていた。しっかり者で、負けん気の強さがある子だった」と目をはらし、声を震わせた。(藤山裕作、酒森希)
北川さんが昨春まで通っていた熊本市の県立高校では同日、副校長が生徒約800人に事件を報告。
全員で黙とうした。副校長は「将来は大学で語学や教育関係を勉強したいと考えていた。言葉もない」と話した。
北川さんの通っていた予備校(福岡市)によると、北川さんは既に複数の私立大に合格し、難関の国公立大学を受験していた。予備校関係者は「センター試験で良い点数を取り、もう少しで合格だったかもしれないのに……」と肩を落とした。