masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

瀬戸際…踏ん張る角石 熊本城の櫓2棟

石垣が崩れ、片側は角石だけで支えられている飯田丸五階櫓=4月16日、熊本市中央区


二の丸広場から見える戌亥櫓も、角石でかろうじて支えられている=熊本市中央区

 

熊本地震で石垣の崩壊が相次いだ熊本城。
中でも飯田丸五階櫓[やぐら]と戌亥[いぬい]櫓の石垣は、角石[すみいし]が柱のように残り、どうにか建物を支えている状態。
その理由を専門家らは「石垣は出角[ですみ](角の部分)が要」という“築城の鉄則”を指摘している。
熊本城では、東十八間[ひがしじゅうはちけん]櫓と北十八間櫓が倒壊するなど国重要文化財13棟が損壊。
加藤清正が考案した「武者返し」を含め、多くの石垣も崩落した。
復元櫓である、飯田丸五階櫓と戌亥櫓では大きく石垣が崩れ、角石が一本歯のげたのような状態で櫓を支えている。
その特異な様子が全国の注目を集めている。
高瀬哲郎・元佐賀県名護屋城博物館学芸課長は「出角は、石垣の崩壊を防ぐという構造面でも、2方向に対して攻撃・防御ができるという機能面でも重要。
算木積み(石の長辺と短辺を交互に組む技法)で強度を増しており、今回の地震でも残ったのだろう」と説明する。
北野隆・熊本大名誉教授(日本建築史)も同じ見解を示しながら、「復元櫓は石垣と一体化しておらず、別々に振動したことで、文化財である石垣まで崩壊に至った可能性がある」と指摘する。
角石の重要性は“城破[しろわ]り”(廃城)の作法からもうかがわれる。
一国一城令(1615年)で破却された佐敷城(芦北町)の調査を担当する深川裕二・同町教委学芸員は「破却の際、角石が取り除かれている。象徴的に一部を外した城もある。“武装解除”の認識だったようだ」と語る。
二の丸広場からは目の前に戌亥櫓が見えるとあって、連日、カメラを手にした人々が駆け付けている。
“頑張る熊本城”に勇気づけられる県民も多いが、高瀬元課長は「角石だけで支え続けるのは無理。悲しいことだが、やがて崩れ落ちるだろう」と話している。(山口純