masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

天草五橋開通50年

天草五橋開通時は料金徴収場の関係ですごい車の渋滞が起こりました。
橋の上で車が止まるので、パトカーが来て「止まらないで下さい」と
注意してました。
1975年8月10日 - 償還完了により無料開放されました。
天草地域の悲願でもあった架橋実現に奔走した旧龍ヶ岳町(現・上天草市)の元町長、森国久さん(1912〜61年)
は新聞記者、警察官を経て、38歳で旧樋島村長(現・上天草市)に当選。
その後の合併などで旧龍ヶ岳村長、旧龍ヶ岳町長を務めた。
天草架橋期成会副会長や、同期成会を含む6団体を統合した天草振興協議会長などの要職を務め、架橋運動の先頭に立った。
森さんは1961年に48歳で亡くなったため、66年の天草五橋開通には立ち会えなかった。


天門橋(1号橋)の交通量が増えたために横では新天門橋の新設工事が進む
=9日、熊本県上天草市朝日新聞社ヘリから、森下東樹撮影


架橋50年を迎える天草五橋
天門橋(1号橋)の交通量が増えたために横では新天門橋の新設工事が進む
=9日、熊本県上天草市朝日新聞社ヘリから、森下東樹撮影

九州本土と熊本県の天草地域を結ぶ天草五橋が開通して、24日で50年。
当時としては世界最高水準の技術で「天草に夜明けをもたらした」と言われる。
架橋から半世紀たった今、架橋の実現と離島振興に「命をかけた」という当時の一人の首長の歩みに、地元で光があたり始めた。



■「夢のかけ橋」が実現
天草五橋有明海に突き出た熊本県宇土半島の三角から大矢野島、永浦島、大池島、前島を経て天草上島まで五つの島を結ぶ。架橋が実現したことで天草地域は「離島」から「半島」へと変わり、天草へのアクセスは大きく向上した。
天草架橋が提言された当時、地元の反応は冷ややかだった。
橋は川にかけるものというのが常識だった時代に、海峡をまたぐ構想は島民からも「夢のかけ橋」と言われた。
「実現するはずもない夢物語」という意味だったとされる。
実際実現すると、離島振興に大きな役割を果たしました。
大矢雅弘

2016年9月24日13時54分