masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

ラジオ深夜便 青い眼の人形(野口雨情)

海沼実の歌の世界「童謡雑誌『金の船』とその周辺」<9月29日(木)深夜放送>
投稿日時:2016年9月26日月曜日 午後06時00分  
投稿者:深夜便スタッフ
いまなお歌い継がれる童謡の数々を、エピソードや解説とともに紹介するコーナー「海沼実の歌の世界」。
今回は、大正8(1919)年に創刊された童謡雑誌「金の船」を取り上げます。童謡雑誌「金の船」は、「十五夜お月さん」「七つの子」など、童謡の作詞で知られる野口雨情を初代編集長に迎え、大正期の児童文学に貢献しました。
番組では童謡雑誌「金の船」にまつわるエピソードを掲載された名曲とともにご紹介。
1920年[編集]
十五夜お月さん(野口雨情)  七つの子(野口雨情)
1921年[編集]
青い眼の人形(野口雨情)
野口雨情作詞、本居長世作曲で「赤い靴」と同様、異国情緒をかもし出す童謡である。
一方で日米の友情を築く意味で作られた楽曲でもある。
1921年(大正10年)12月、『金の船』(キンノツノ社)に発表された。
雑誌掲載時のタイトルは『逭い目の人形』。
なお、野口雨情には同名の童謡集(1924年発表)がある。
1923年、関東大震災が起こった時は海外からも多くの募金が寄せられたが、アメリカでも義援金を募る際にこの『青い眼の人形』が歌われた。
第二次世界大戦中では、童謡『赤い靴』と同じように、敵国の歌とみなされて歌う事が禁じられた。
なお、『青い眼の人形』はキューピー人形から発想を得て作られた歌であり、昭和初期にアメリカから日本に贈られた友情人形が「青い目の人形」と呼ばれたのはこの歌に因む。
野口雨情の出身地の茨城県北茨城市の中郷サービスエリアの付近には、『青い眼の人形』の歌碑が建てられている。
アメリカから日本との親善活動の一環として、1926年10月〜12月に全米より集められ、1927年3月3日に間に合う様に日本郵船等5社(他に大阪商船(現・商船三井
など12隻に分乗し日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が、遅れて鳥羽丸で各州代表の人形48体とミス・アメリカ及びワシントンDCが贈られた。
熊本県には241体が寄贈され、2体が現存。
氷川町立宮原小学校(パトリシア・ジェーン)
八代市立鏡小学校(ベティ・ジェーン)P