masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

【水上村】生善院観音堂(しょうぜんいん)  通称・猫寺


第二十四番番札所  
熊本県球磨郡水上村岩野3542 TEL 0966-44-0068

生善院は、寛永2年(1625年)に創建され、岩野里坊に位置する新義真言宗寺院である。
謀反の疑いで非業の死をとげた普門寺盛誉法印(せいよほういん)と後を追って死んだその母玖月善女(くげつぜんにょ)を祀るために人吉藩主相良長毎(さがらながつね)公により生善院とともに建立された。
観音堂は内部に安置された厨子とともにその時の建立である。
厨子には玖月善女の影像である千手観音立像が納められている。
生善院(しょうぜんいん)は普門寺跡に建てられたお寺で、通称・猫寺(ねこでら)と呼ばれている。


天正10年(1582)、相良藩への謀反を企てているという嘘の訴えにより、湯山城主・湯山宗昌(ゆやまむねまさ)とその弟で普門寺の盛誉法印(せいよほういん)が殺されることになった。
その話を聞いた宗昌は日向へ逃げたが、寺に残った法印は殺され、寺も焼かれてしまった。
無実でありながら我が子を殺された法印の母・玖月善女(くげつぜんにょ)は愛猫・玉垂(たまたれ)を連れて市房神社(いちふさじんじゃ)に参り、自分の指を噛み切ってその血を神像に塗りつけ、玉垂にもなれさせて、末代までも怨霊になった相良藩をたたるように言い含め、茂間が崎に身を投げて死んでしまう。

すると、相良藩では、猫の怨霊が美女や夜叉に化けて藩主の枕元に立つなど、奇々怪々なことが次々に起きた。
寛永2年(1625)、相良藩主・相良長毎(ながつね)は霊をしずめるために普門寺跡に千光山生善院(せんこうざんしょうぜんいん)と名づけて寺を建立。
藩主自らも法印の命日3月16日には必ず市房神社と生善院に参るようになり、ようやく祟りは鎮まったと伝えられている。


宗昌と法印は無実の罪であることが判明し、早速討ち入り中止の使者が人吉城から出されましたが、その使者が無類の焼酎好きで、途中の茶屋で一杯、二杯と飲むうちにとうとう酔って寝てしまい・・・ 駆けつけた時には既に遅し。
という話も残っています。

国指定重要文化財
生善院観音堂(しょうぜんいんかんのんどう) 
方3間単層寄棟造・茅葺きで、正面に柿葺きの向拝1間がつく。
内部は折上小組格天井、極彩色の須弥段の上には、本尊をおさめた特徴的な厨子がある。
交通アクセス くま川鉄道湯前駅から徒歩で30分