masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

熊本地震直後の慈恵病院

熊本市に、親が養育できない新生児を預かる、いわゆる「赤ちゃんポスト」が設置された慈恵病院があります。
その病院でも、壁にひびが入ったり外周の地面の舗装が浮き上がるなどの被害が出ました。

本震に襲われた時、産婦人科では分娩の真っ最中だった。
「スタッフは『お母さん、落ち着いて。大丈夫、大丈夫』と声をかけていました。
その後の余震の間にも分娩があり、17日までに病院では12人の赤ちゃんが誕生しました」(竹部智子看護部長)
病院には近隣から130人ほどが避難してきました。
しかし水は濁って使えず、備蓄してあった食料も足りない状態。
「そこでホームページで支援をお願いすると、お水やお米、野菜や果物まで、たくさんの支援がいただけました」(竹部部長)
支援者のほとんどは慈恵病院でお世話になった人たち。
赤ちゃんを抱えてお米を持ってきた30代女性は「昨年、病院でお産をした」と言う。
「匿名の支援の中には、『赤ちゃんポスト』にかかわった人たちの“恩返し”もあったと思います」(病院関係者)
希望の産声 守り抜いた 16日の本震直後、熊本の女性が出産
地震の直後に生まれた芽衣ちゃんを抱く母の宮村知恵子さん。
右は奥村貴美子医師=19日、熊本市の慈恵病院で


熊本地震の本震があった直後、震源地に近い熊本市内の病院で、新たな命が誕生していた。
強い揺れが続く中で出産し、他の患者家族らに支えられた母親は「感謝しきれない」と語った。
被災地ではエコノミークラス症候群対策にとテント村も登場し、助け合いの輪が広がる。
一方、九州新幹線は一部区間で運転を再開。地震で損壊した建物は九州の五県で計九千棟を超えたことが判明した。 
十六日未明の震度6強の揺れから約十三分後。熊本市の慈恵病院で女の子が産声を上げた。
「大丈夫。安心して」。建物が左右に揺れる中、助産師は分娩(ぶんべん)台ごと母親を抱きしめ、小さな命は父親が両手で抱え守り抜いた。
同市の宮村知恵子さん(34)は、夫の智和さん(37)と長男理玖(りく)ちゃん(2つ)の三人暮らし。
待望の女の子を妊娠し、予定日を十八日に控えていた。
十四日夜の地震には驚いたが、余震は収まりつつあり不安はなかった。
十五日昼の健診後に入院し、午後九時ごろから陣痛の間隔は狭まってきた。
「出産の準備を始めましょうか」。日付が変わる前後に分娩室に入り、おなかに力を込め出産に備えた。
担当する奥村貴美子医師(49)が「そろそろ生まれそうです」と連絡を受けたのは十六日午前一時すぎ。
当直室で白衣を着て再連絡を待っていた午前一時二十五分に「ドーン」という大きな揺れに襲われた。
冷蔵庫や本棚を押さえるのがやっと。「早く分娩室に」。揺れで体ごと左右に振られながら駆けだした。
知恵子さんは助産師と揺れに耐えた。
「台から落ちる」と思った瞬間、助産師が守ってくれた。「早く産まなきゃ」との思いだけが募る。
午前一時三十八分、揺れが収まらない中で無事に三〇三〇グラムの長女芽衣(めい)ちゃんを出産した。
分娩室は医療機器が散乱し断水。間もなく全員退避の指示が出て、智和さんが知恵子さんをおんぶして一階に移動した。
知恵子さんが途中で体調が悪くなりソファで倒れ込むと、ほかの患者家族らが病院の外に止めてあった救急車まで運んだ。
智和さんは裸の芽衣ちゃんを抱っこし、毛布でくるんで温め続けた。
慈恵病院では、この日朝までに四人の赤ちゃんが生まれた。
「多くの人に助けられ感謝しきれない」と知恵子さん。
両親は同県益城町で被災し、車中泊を続けている。
知恵子さんは「こんな大変な時に生まれた子。力強く育ってほしい」と話した。