masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

列島インタビューで「結核のない世界を目指して」

わたしは結核という言葉は知ってましたけど、ラジオ深夜便を聞いて、結核に罹ると大変だなと思いました。
[ラジオ第1] 2017年4月28日(金) 午前1:05〜午前2:00 [木曜深夜](55分)
▽列島インタビューで「結核のない世界を目指して」              
ストップ結核パートナーシップ日本理事…成瀬匡則さんのお話でした。

成瀬さんは約10年前に「多剤耐性結核・MDR-TB※」に突然罹患しました。
※Multi-Drug Resistant Tuberculosisの役
成瀬さんの記事
初回感染での多剤耐性結核は非常に珍しく、およそ半年間の長期入院生活を経験したのです。
生死を彷徨う、結構な程の重症な状態。しかも隔離病棟に6ヵ月間。
今までの人生、様々な経験をしてきましたが、特にこの入院生活はものすごい衝撃的な出来事でした。
ネットカフェか、満員電車か。感染した場所が思い当たらない。10年前の初夏、結核患者になった。
熱が続いてだるい。でも近所の医者に処方してもらった薬は効かない。
3週間後、大学病院の夜間救急外来に駆け込むと、「結核かも」。
当時、IT関連企業の営業職。「どんな病気か全然、知らなかった」。
終電で帰宅する生活が一転、鉄の扉に隔てられた病棟で闘病に入る。
患者たちの表情は暗く、会話はない。気がめいった。感染させるのが怖くて恋人に別れを告げた。
症状は入院2週間ほどで治まり、検査結果を待つ日が続いた。
筋トレを欠かさず、食欲も落ちない。「脱走してもいい?」。冗談めいて看護師に言ったら、「テロ行為だってこと、わかってるの」としかられた。
いろんな薬を使っても治療が難しいタイプの結核菌だとわかって転院。
そこで仲良くなった男性患者に「支えられて生かされている。周囲に感謝を」と諭された。
7ヵ月後に退院したが、その男性は亡くなった。
「自分と同じ体験はして欲しくない」。
会社を辞め財団法人結核予防会の職員に。投薬治療も終えた。
2008年の新規患者は2万4760人。他の先進国に比べて人口あたりの
患者率の高さが際だつ。発病は高齢者に多いが、学校や学習塾、飲食店でも毎年
のように集団感染が起きる。
「誰にでも感染の可能性がある。結核をもっと知ってほしい」(文・写真 熊井洋美)
現在、認定NPO法人の理事も務めております。
「Stop結核パートナーシップ日本」という団体の理事を務めています。
http://www.stoptb.jp/
http://www.stoptb.org/(英語版)

こちらはWHO本部スイスのジュネーブに本拠地を置く団体。
2050年に結核のない世界を目指して結成した、結核対策を行う連携機関で、分野横断的なパートナーシップです。
国際機関、政府、行政、民間企業、NGO、患者団体などの世界の複数の団体が参画しています。
自分が結核に罹患・完治後の約7年間、元結核患者の立場として、全国の医療関係者、医師・看護師・保健師自治体の保健・感染症担当者、民生委員、そして今もこの病気に苦しむ方やその家族へ向け、結核の予防・正しい知識の普及啓発に努めてきました。
その活動範囲は国内のみならず、世界へも広げています。
そんな活動を通じて、「国境なき医師団」のドクターや担当者と出会い、執筆依頼があったのです。

今回の記事は、当時感じた患者としての気持ちが、 小さな記事でしたが出ることとなりました。
罹患後2年間の過酷な投薬治療を終え、現在は治癒し、すこぶる健康な状態です!
自分自身が患者として入院してみて、病院、医療スタッフの皆さんのホスピタリティに触れることが出来たこともとても大きなことでした。
そんな自分だからこそ、看護師さんの転職のサポートを熱く、していきたいと思っています。