masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

ラジオ文芸館 「自転車をこぐとき」

今朝のラジオ文芸館は「自転車をこぐとき」でした。
少年時代の甘酸っぱさな恋心などが入り混じった物語です。
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自転車をこぐとき  作:薄井 ゆうじ

2013年8月31日放送のアンコール。
離婚と勤め先の倒産で、心も体も疲れ切った中年男の私が、店先でふと高級自転車に目をとめたことから、
自転車好きだった10歳の頃の、夢やあこがれを思い出す。
東京から茨城に引っ越した少年の私は、新しい友人の、アメリカ人の母親・エミリーに恋心をいだく。
そして、夏休み、エミリーと離婚した友人の父を訪ねて、友人と一緒に仙台まで自転車で行こうという計画を立てるが、友人とエミリーは突然仙台に引っ越してしまい、友情と初恋はともに失われた。
その後一度は仙台を訪ねようと思いつつも先送りにしてきたのだが、すべてを失った30年後の今、手持ちの現金をはたいてこの自転車を買い、仙台へ旅立つことを決める…。
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東京から茨城に引っ越した私は、転校した小学校で自己紹介をした時、東京言葉を茨城弁の同級生たちにいじめられる。
私の話し方が「女みでぇだ」というのだ。
隣の席のジョージがすぐ話しかけてくれ、茨城弁を使う彼も実は東京から
引っ越してきたことが分かります。
彼の目の色は青色。お母さんはアメリカ人で父は日本人なのです。
私は、ジョージというその少年と話すようになりました。
彼も東京の福生から何年か前に引っ越してきた。

「おめェも、早ぐ、茨城弁話さねどダメだドゥ」という。
彼も引っ越してきたばかりのころは、東京の言葉を話していていじめられたそうだ。
ジョージの両親は離婚していて、父親は仙台に妹と暮らしていた。
夏休みに、私とジョージは自転車で仙台に行く計画を立てる。
ジョージの家に一泊して計画を練る、その晩、二段ベッドに寝ることになりました。
二段ベッドの下は妹が寝てたとジョージは 話しました。
夜中に母のエミリーが寝室にやってきて、私の頬に軽く口づけしておやすみを
言いました。
初めてジョージの家を訪問した時に、エミリーの美しさに魅せられた私でした。
ジョージは妹に初恋をしたと私に告白しました。
その日、友だちになった記念に保温機能のついたマグカップをもらって私は
大事に使い続けていました。
ある日、私はジョージの家に行くと、家の様子がおかしく、私宛の手紙がありました。
妹が重い病気にかかっているので、エミリーは娘の看病のために、仙台に行くことになったと。
ジョージとのサイクリング計画は幻になってしまいました。
それから月日は過ぎ、私はジョージとはしばらく文通を続けていました。
私は28歳で結婚し、女の子に恵まれましたが、36歳で離婚し41歳になっています。
2ケ月に一度、2時間娘に会う形ですが、娘は私になつかなく、会うことを喜んでいなかった。
私自身、勤めていた旅行会社が倒産し、今ではホームレスのような生活です。
私は養育費が払えないと元妻に告げた。
私は通りを歩いていると、店先でふと高級自転車に目をとめたことから、自転車好きだった10歳の頃の、夢やあこがれを思い出し、思わず店に入りました。
手持ちの金ぎりぎりで、ドロップハンドル、ギア付の自転車を買ってしまう自分が信じられない。
店の電話を借りて、仙台のエミリーと話します。エミリーは今59歳。エミリーに結婚を申し込むことを私は決意します。
自分の人生いつも遅きに失していた。失敗した結婚、会社にずるずる最後まで未練をつないだことも良くなかった。
けれど、今人生をリセットしよう。
30年を取り戻すんだ。風になろう!
私は仙台に向けて自転車を漕ぎ出します。