masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

八代 松井家のひな人形展示会

私はひな人形には、母の辛い思いがあり、あまり楽しく見ることができません。
県内各地、菊池や山鹿や玉名に人吉などでひな祭りが行われてます。
おひな様は雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。
平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。
またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。
3月上巳(じようし)(最初の巳(み)の日)には,紙や植物でつくった形代(かたしろ)で身体をなでて穢をはらい,それを水に流して神送りする行事があった。
この〈ひいな〉遊びと〈かたしろ〉信仰とがとけ合い,しだいに雛人形の原型がつくられていった。
細川家の筆頭家老で八代城の城主だった松井家に伝わる、江戸時代のひな人形の展示会が八代市で開かれています。


戦国時代末期、松井康之は細川藤孝(幽斉)に従って戦功を立て、藤孝の養女を妻として所領を与えられ、以後、代々細川家に仕え、細川一門と同格の重臣扱いを受けていました。
細川家世襲三家老の筆頭の地位にあった松井興長が八代城主となり、以後10代、約220年にわたって八代城下町とその周囲を支配しました。
松井家は康之の功により、山城国(現京都府)に知行地を与えられ徳川将軍の直参として自家の代替わり、将軍の代替ごとに江戸に参勤するという特殊な家柄でもありました。
また、細川家とともに文化芸能にも秀でた家柄で、代々古流茶道や金春流などの能を伝えています。
現在の松井邸は「松浜軒」として知られています。


この催しは、かつての松井家の御茶屋で、国指定の名勝となっている「松浜軒」の中にある展示室で毎年開かれているものです。
会場には松井家に代々受け継がれている、ひな人形やひな道具の数々、およそ120点が並んでいます。
このうち、江戸時代の天保10年に作られた「古今雛」は、10代城主の章之公が栃木県から嫁いできた妻のために京都から取り寄せたものといわれています。
また、松井家所蔵のひな人形の中で最も古い、江戸時代中期の「享保雛」は、おびなと女びながそれぞれ、当時流行ったとされる「束帯」と「十二単」を身に付けていて、袖口の重ねの美しさが高貴な雰囲気を漂わせています。
展示室の事務長を務める、榎田榮さんは「江戸時代の素晴らしいおひな様が並んでいますので、細かい部分までじっくり見ていただいて、昔のおひな様の良さを味わってもらいたいです」と話していました。
この展示会は、来月20日まで開かれています。