masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

熊本地震、そのとき阿蘇医療センターは

阿蘇医療センター 甲斐 豊 病院事業管理者/病院長
阿蘇地区を救った病院機能と外部支援
1987 熊本大学医学部卒業 同脳神経外科入局後、熊本地域医療センター、人吉総合病院、済生会熊本病院熊本大学医学部附属病院、熊本赤十字病院熊本大学医学部特任教授などを経て 2014 阿蘇中央病院(現阿蘇医療センター)院長
今年4月の熊本地震発生時、阿蘇地区の救急医療を支えた阿蘇医療センター。
甲斐豊病院長に、震災時の様子と今後の課題について聞いた。


◆2日間で救急車30台急患200人
前震のときはまだ、どの病院もほぼ通常通りに外来診療ができましたが、本震では停電、断水状態に。
阿蘇地区で医療機能を維持できているのは当院だけでした。
一気に急患が搬送されてきて、新規で平均約10人が入院する状態が6日間続きました。
16、17日の2日間、当院で受け入れた救急車は約30台、急患は200人ほどです。
病床数には限りもありますので、比較的軽症の患者さんには退院してもらわなければいけない。
退院するといっても自宅が倒壊して帰れない人もいる。
連携室では、一人ひとりに事情を説明して、入院・退院を調整することがとても大変だったと聞いています。
報道では益城町、南阿蘇など、一部の地域がクローズアップされました。
そのため、阿蘇にはDMAT、救護班の到着が一番遅く、先遣隊が到着したのは、17日の夜。
阿蘇は大丈夫だと聞いたけど、どうかな」と、たまたま様子を見に来た竹田市大分県)のDMATが、急患の多さに驚いて、本部に連絡してくれたのです。
東日本大震災のとき、約800チームのDMATが集結したにもかかわらず、チームの振り分けがうまくできず、十分な活動ができなかった。
そこで震災以降、DMATを統括し、仕分けをする「統括DMAT」という資格ができました。
今回は、その資格を持つ横浜労災病院救命救急センターの中森知毅医師が当院に来てくださいましたので、すぐに災害対策本部を設置し、各DMATチームの役割分担ができました。
人材の確保についても、関係各所とスムーズに連絡がとれました。
全日本病院薬剤師会からは薬剤師、熊本市民病院からは臨床検査技師三人と放射線技師、大分県放射線技師会からも毎日応援に来てもらえました。
医師は諏訪中央病院(長野県)からの二人、石垣かりゆし病院(沖縄県)からの一人が、それぞれ一カ月間常駐。
熊本大学病院からは医師二人と看護師四人を15日間派遣してもらい、患者を受け入れることができました。
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