masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

「置き去りにされて」芽生えた感謝 「愛され、生かされた」

2017/11/23 11:04
株式会社熊本日日新聞社

永岩さんが置かれていた黒川産科婦人科医院の夜間通用口で話す院長の黒川篤一郎さん(右)と、婦長の米村百合子さん=菊池市
黒川さんが、永岩さんに渡した写真。当時の名前「みゆき」と書かれている(永岩さん提供)
生まれてすぐ置き去りにされた永岩味樹[みき]さん(29)=熊本市
気持ちが変わったのは今から3年前のことだ。
夫(36)と結婚し、子どもを授かった。
妊娠をきっかけに菊池市の広報紙などを調べ、置き去りにされた場所が黒川産科婦人科医院(同市)と知った。
院長の黒川篤一郎さん(74)によると、1988年10月19日午後7時半ごろ、当直の看護師が泣き声に気付いた。


生後すぐの赤ちゃんが、バスタオルにくるまれて夜間通用口に置かれていた。急いで保育器に入れ、温めたという。
体重が軽めだったため、3週間ほど医院で預かった。
「色白でとてもかわいかったんです。抱っこしてミルクを飲ませ、わが子のように世話をしました」と、現在は同医院で婦長を務める米村百合子さん(60)。
赤ちゃんが乳児院に移る日、看護師らは涙を流しながら見送ったという。
3年前、医院を訪ねた永岩さんに、黒川さんはこう話したという。
「あなたのことを忘れたことはありません。どうしているのか、ずっと気になっていました。『今年は高校生だね』などと、職員といつも年を数えていたんです」
黒川さんは机の引き出しから2枚の写真を取り出した。
それは永岩さんにとって「初めて見る、赤ちゃんだったころの私の写真」。
1カ月前に生まれた長女とそっくりだった。
「私のことを大切に思ってくれる人たちがいた。要らない子だから親に捨てられたと思っていたが、実は多くの人に愛され、生かされたんだ」。永岩さんは実感した。
夜間通用口は道路に近く、多くの人が通る場所だ。
「実母には、子どもを誰かに見つけてほしい、助かってほしいという気持ちがあった」と確信した。
実母に対する怒りや、これまでの悩みや不安がスーッと消え、感謝の気持ちに変わった。
「やっと自分に自信が持てるようになった」
今年10月、八代市で開かれた里親に関するフォーラムで、「子どもには小さいうちから本当のことを話してほしい」と語った。
自分の体験を実名で話すのは、慈恵病院(熊本市)の「こうのとりのゆりかご赤ちゃんポスト)」に置かれた子どもたちが気がかりだからだ。「一人じゃないよ」とメッセージを送りたい。
「子どもにとって、養親に愛されればそれで幸せ、というわけではない。愛されても、実の親が分からないことはずっと子どもを苦しめる。不安や悩みを抱えて生きていかなければならない」と訴える。
実親がせめて名前を付けてくれていたら。服を着せてくれていたら。「ごめんね」とわびる手紙があったら−。
「それだけで少しは救われる。事情があって子どもを手放すとしても、大切な存在だと伝えてほしい」。
2児の母となった永岩さんの心からの願いだ。(森本修代)