2019/3/15 15:17 c株式会社熊本日日新聞社
解体された熊本城の西大手門。石垣の目地を埋めるしっくいが目を引く=2月19日撮影
鉄骨の隙間から見える南大手門の目地しっくい
二の丸広場の東側にある西大手門は全て解体され、一部が崩れた石垣だけが残る。
石垣には、白い模様のような線が描かれている。
熊本市熊本城調査研究センターの職員によると、白い線は「目地しっくい」と呼ばれ、「石と石の隙間を埋めるしっくい」という。
目を凝らすと、南大手門の石垣にも白いしっくいが塗り込んである。
本丸御殿の闇[くらが]り通路や二の丸御門跡の石垣にも施されているという。
西大手門は明治初期に石垣とともに解体された。
西南戦争に伴い、軍が撤去したとみられる。
その後、1981年と2003年の2度にわたって復元された。
両方の工事に携わった市文化振興課の西川公夫さん(65)によると、目地しっくいは03年の工事で施したという。
南大手門や二の丸御門跡の石垣の一部に、しっくいが現存していたことから、西大手門にも施されていたと判断した。
10月に始まる熊本城の一般公開で、入場者は二の丸広場から西大手門跡を通って天守閣方面へ向かう。
熊本城総合事務所は西大手門の復旧について「城への入場ルートとして使うため、全体の復旧工事の終盤になるだろう」としている。
(飛松佐和子)
(2019年3月15日付 熊本日日新聞朝刊掲載)