masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

フラガールの震災後の日々

今朝は14.2度と暖かく、午前中は雨が降りました。
仕事をリタイヤーして、午前中は掃除・洗濯などでバタバタしますけど、
お昼は時間が空いて、どうしょうかと思うことがあります。
さて、過日フラガールの放送がありましたけど、熊本に住んでる私は全然知りませんでした。

フラガールの震災後の日々】−支えあおう−
「証言記録 東日本大震災福島県いわき市にある大型レジャー施設で
笑顔を届けてきたフラガール
震災時、1500人の観光客がいたが、全員を安全に避難誘導。
森りえさんら、29人のフラガールたちは自宅待機を言い渡される。
寮や近隣の自宅へみな帰宅。
震災域に実家がある賀澤さん、夕方に電話が通じた。
弟「家が流された」「いま、親戚に家に向かっている」
29人いたメンバーは散り散りになった…
でも、フラガール29人、40日後には全員集まった。
フラガール半数は避難していたが、「復興キャラバンをやろう」の掛け声に従い、
40日後にまた避難地から集まりだした。
「行くのが当たり前、迷いはなかった」
「もっと大変な人がいるのに(避難している自分)皆に会って元気を貰いたくて」
常磐舞踏学院の人達、すなわちフラガールの人達の使命感や職業意識が
動かしたのです。
当時、多くの人たちが、先の見えない状況に暗く気落ちしていたが、
フラガールが避難所の慰問活動などを始めるとのニュースを知り、
勇気と力をもらった、暗い気持ちに少しだけ光が差した気がしたと。
フラガールの中には、放射能汚染からの避難した人もいて、片や
東京にいた人達は、窓も締め切り屋外に出なかったり、必要な物を買いだめしたりで・・・
フラガールは40年ほど前いわき市の炭鉱の街をもう一度盛り立てるために、
奥さんや娘さん達が東京からきた先生に習って立ち上げたもの。
今回の震災で彼女達も被災した。
しかしそこからまた立ち上がり地方公演もし、地元の生きる希望になってるとのこと、
当時、いわき市はガソリンも満足に手に入らない状況。
そこへ、フラガールたちに集まるよう声がかかった。
本社の話し合いの場 「炭鉱の町から、常磐ハワイアンセンターへ変わった時
もキャラバンをやった」
「震災復興、被災地復興のためにキャラバンをやりたいと」