masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

親しみやすさ、郷土愛…熊本県内で早すぎる死を悲しむ声 八代亜紀さん死去

親しみやすさ、郷土愛…熊本県内で早すぎる死を悲しむ声 八代亜紀さん死去
熊本日日新聞 | 2024年1月9日 23:15


熊本地震からの復興をPRするイベントに出演し熱唱する八代亜紀さん=2022年7月、南小国町(古東竜之介)
 八代亜紀さんが亡くなった。大物歌手にもかかわらず親しみやすく、郷土熊本のことをいつも気にかけてくれた八代さん。関わりのあった県民たちは人懐っこい笑顔と魂を震わせるような歌声を思い出し、早すぎる死を悼んだ。

 郷里八代市のキャバレー「ニュー白馬」は、デビュー前の八代さんが立った原点。大成後もしばしば来店し、2010年には歌手活動40年の記念コンサートを開いた。代表の池田義信さん(74)は「元気になったら、もう一度白馬のステージに立ってもらおうと話していた。白馬にとって亜紀ちゃんは宝物のような存在だった」と悲しんだ。

 地元経済団体などでつくる「八代亜紀と共に明日の八代をつくる会」は、絵に造詣の深かった八代さんとコンクールや展覧会を開いてきた。会長の竹永淳一・八代商工会議所会頭(67)は「絵画は毎年出品してもらい、祭りでは無償で曲も作ってくれた。古里に尽くし、皆を喜ばせようとしてくれた」と振り返る。



熊本開催の女子ハンドボール世界選手権を前に、組み合わせ抽選会に臨む大会特別サポーターの八代亜紀さん(中央)=2019年6月、東京都(池田祐介)
 エフエムやつしろは八代さんの活動休止後も、元気づけようと毎週木曜日の「今日も八代亜紀晴れ」を継続。11日も放送する予定で、「誰よりも八代を愛した亜紀さんの曲をいっぱいかけて、皆さんと送りたい」とパーソナリティーの前田美紀さん(51)。

 熊本豪雨の翌21年、被災者向けのミニコンサートを球磨村で開いた八代さんは人吉市の旅館「清流山水花あゆの里」に宿泊。被災した旅館をリニューアルしたばかりで、女将[おかみ]の有村政代さん(73)は「『よくここまで来たね』とねぎらっていただいだ。社員一人一人に声をかける優しい方でした」と人柄をしのんだ。

 八代さんの曲が毎日のようにかかっていたという熊本市中央区のカラオケスナック「フェミニン」。経営者の小原たつ子さんは「残念がるお客さんは多いでしょうし、私も同じ気持ちです」と話した。

デビュー40周年を記念し、故郷で歌う八代亜紀さん=2010年5月、八代市のキャバレー白馬
 熊日は八代さんの訃報を受け、号外200部を熊本市中央区のびぷれす広場一帯で配布。号外を受け取った同区の自営業堀田誠代さん(54)は小学生の頃、歌番組「ザ・ベストテン」に出演していた八代さんが熊本出身と知り、誇らしく思ったという。「ずっと変わりなく、美しかった。『舟唄』が好きで圧倒的な歌唱力の中に味があった。もっと活躍してほしかった」

 熊本市の会社員中谷裕治さん(60)が19歳の時に恋人と初めて行ったコンサートは、神奈川県であった八代さんの公演。「高校生の頃から祖母が聞いていた。優しさと強さがある歌声を持ちながら、話すと天然なところが魅力。最近もユーチューブで曲を聞いていた」と残念がった。

 九州産業交通ホールディングス熊本市)がグループで運営する中央区の大型商業施設「サクラマチ クマモト」に22年、どら焼き専門店「どらがしあんあん」が開店した際、CMや一日店長に起用された八代さん。九州産交での勤務経験からグループのOB会顧問も務め、同ホールディングスは「驚きを隠せない」とコメントした。

 菓子メーカーの湖池屋(東京)は、益城町の工場が稼働した21年から八代さんをCMに起用。「地震からの復興に尽力いただき、元気と勇気を与え続けてくれた」と謝意を示した。(熊日取材班)