masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

震災語り継ぐ小さな民宿

東日本大震災の発生から3年半。
被災地の各地で、復興へ向けた動きが進んでいます。
そんななか、宮城県南三陸町の海の見える高台に、
ある小さな民宿がオープンしました。
始めたのは、津波で最愛の娘を失った夫婦。
訪れた人が、あのとき何が起きたのかを知り、
語り継いでいこうという輪が広がり始めています。

もくじ
第1章【津波で一変した町】(平成23年3月11日)
第2章【命の呼びかけ】(平成23年3月11日)
第3章【自責の念】(平成23年5月)
第4章【日記で始めた“対話”】(平成24年4月)
第5章【娘からの手紙】(平成24年10月)
第6章【娘と共に歩む場所】(平成26年7月)
第7章【被災地の真実を知る場】(平成26年8月)
第8章【悲劇を繰り返さぬために】(平成26年9月)
第9章【広がる語り継ぐ輪】(平成26年10月) .


第1章 津波で一変した町

1万7000人 余りが暮らしていた宮城県南三陸町。漁業でにぎわう町を、あの日、津波が襲いました。
高さ10数メートルの津波は、人々を、そして、建物を次々と飲み込んでいきました。
津波は、町の中心部を超え、数キロ先の山あいに到達。
町は壊滅的な状態になりました。
犠牲になった人は800人以上。
壊れた家は3300戸に上りました。

第2章 命の呼びかけ

南三陸町 危機管理課の職員だった遠藤未希さん。
津波が迫り来るなか、防災対策庁舎2階の放送室で、同僚と共に、防災無線で避難を呼びかけました。
初めは冷静に呼びかけを行っていましたが、想定される津波の高さが「10メートル」に変わると、
少し上ずった声に。
それでも、ぎりぎりまで避難を呼びかけました。
その数、40回以上。
放送を聞いた人は逃げ、多くの命が助かりました。
しかし、津波は3階建ての防災対策庁舎も飲み込み、未希さんたちは流されました。

遠藤未希さん(震災当時24)

第3章 自責の念

遠藤未希さん は、両親の清喜さん、美恵子さん、それに妹の4人家族でした。
未希さんが行方不明になっていることを知り、清喜さんと美恵子さんは、手がかりを求めて、
各地の避難所を歩き回りました。
「生きていてほしい」。
しかし、その思いは届きませんでした。
最愛の娘を失い、これからどう生きていけばよいのか?
そして、美恵子さんには大きな自責の念がありました。
実は、4年前、未希さんに役場への就職を勧めたのは、美恵子さんでした。
就職を勧めたことが結果として悲劇につながったことに自分を責めていたのでした。

平成24年04月