masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

ブラタモリ、熊本へ

19日放送回の舞台は熊本城。城づくりの名人と言われた戦国武将・加藤清正が丹精込めて築いた熊本城への、“やりすぎ”なほどのこだわりを探る。
さらに町の中にも多数の“やりすぎ”な仕掛けが。戦国時代の常識を破る「見通しのよい道路」に隠された驚きのからくりとは。
全国でも有数の、「水に恵まれた土地」としての熊本にスポットを当てる4月2日放送回では、巨大な「噴き出す井戸」にタモリが大興奮。
戦国武将・加藤清正が作ったという、謎のトンネル「鼻ぐり井手」にも潜入する。

午前7時、日の出5分位前。
今回の舞台は、日本を代表する名城・「熊本城」。
ここで早速、熊本城の「行幸(みゆき)橋」傍に在る「清正公銅像」の前で琴奨菊流のイナバウアー体操をしている、熊本城調査研究センターの鶴嶋俊彦さんが登場。
戦国武将・加藤清正(1562-1611)。
朝鮮半島での虎退治や猛将の誉れ高い清正公だが、実像は如何に?
性格は、目尻が下がって神経質で心配性。
ここでタモテバコが登場。旅のお題は、「熊本城は"やりすぎ城"」。
防衛マニア。タモリ「変態防護マニア?」
年150万人の観光客が訪れる熊本城、石垣が強固・優美、天下の三名城とも言われる。



石垣以外でも守りに関する奇想天外な仕掛けや驚きの秘密が、やりすぎな程に沢山在ると言う。

城づくりの名人と言われたが丹精込めて築いた城は“やりすぎ”な城だった?
熊本城への拘(こだわ)り度を探り、難攻不落の要塞に挑む。
面積98万㎡、「行幸橋」南の入り口から敵軍の気分で天守を目指す、約680m。
何処からも狙われる枡形(ますがた)の構造、四方から攻撃される。
竹の丸〜石垣の上に元々は、五階建て以上の櫓(やぐら)が7つも林立し、二階櫓・平櫓も入れると66も在った。
タモリ「やりすぎ」。
左右に分かれる階段、右は行き止まり。
永遠に続くかと思わせる6連続で曲がる枡形通路・・・頭上高く見上げる石垣、国内最強。
タモリ「曲がりつかれた、方向感覚が分からなくなった」。
天守」目前、奇想天外な暗闇の通路「闇(くらが)り御門」。タモリ「ご立派」。
観光の近道もある。


「大天守」・「小天守」・・・その中間に宙に浮いたような出っ張りは空中セッチン(トイレ)「衣掛(きぬか)け」、
タモリ「セッチン・イン・ザ・モーニング・サン♪」。最上階は六階。
万が一のいざ!の仕掛け、急段差の階段。
逃げるのは北側の抜け穴(脱出口)「石門」・・・4mの一枚岩、高さ10mの石垣、長さ10m。
鶴嶋「なぜ南側の守りが手厚かったか?」 タモリ「南には誰が居る?」桑子「鹿児島、薩摩」タモリ「島津」、
清正にとっての最大の脅威は島津氏だった。
タモリ「可能性は薄いのにこんなにやって、万が一来たら北から逃げる」。

さらに町中にも色んな“やりすぎ”な仕掛けが満載。
戦国時代の町づくりの常識を破る「見通しの良い道路」に隠された驚きの絡繰(からく)りとは?

薩摩街道」に出ると、逆に見通しの良い碁盤の目、街道から見えないよう目隠しした「古町」の「心光寺」はじめお寺各所(27?)に兵を貯めていた、タモリ「おいでおいでをして待ち伏せ」。
鶴嶋「実はまだ在る」タモリ「シツコイですね清正は」

「せんば橋」〜隣町の「新町」へ。
ここで熊本大学永青文庫研究センター教授の稲葉継陽さんが登場。
稲葉「熊本と聞いて浮かぶ動物は?」タモリ「馬刺しの馬」、実は狸も多かった。
至る所にタヌキ像が置いてある、向こうの「洗馬橋電停」前にも郵便ポスト上にも。
わらべうた「あんたがたどこさ肥後さ肥後どこさ・・・」の歌詞に出て来る「せんば山」の正体は!?


タヌキは数年前まで出没していたが山は見当たらない!?
堀だった窪みが帯状に続いている、タモリ「掘った土を山にした?」、土塁「高麗門塩屋町之絵図」(1656年頃)。
これでもかの防御。堀と土塁の痕跡、実は土塁の藪を「せんば山」と呼んでいた。
タモリ「心配性だったんだろうね」。
薩摩街道」に続く、参勤交代の「豊前街道」に潜むやりすぎの仕掛けとは? 街道が二の丸(天守の在る本丸の外側を
囲む城郭)を通っている訳は? タモリ「これだけ厳重警備しているのに?」、街道が坂になっていて、それに沿って幅30m位の空堀、枡形の道、島津藩の参勤交代が通ると、威圧感の有る天守
タモリ「やっぱりこれはかなわねえかな、街道を城の中に通すとは、細心の中に大胆さを持つ両面性、戦略家として優れた人」。
1877年の西南戦争では、西郷隆盛軍の進攻に陥落せず。築城から250年して初めて実証されたのであった、
タモリ「名城ですねえ」。