ただただ、鼻水が出るだけで、コメントが出来ないお話です。
今年3月の発売以来、発行部数5万部超を数える「はなちゃんのみそ汁」。
33歳という若さで亡くなった安武千恵さんの闘病記でもあり、また幼い娘への遺言であり、そして日々の食事や食育についても考えさせられる書籍です。
25歳で乳がん発覚。その後の結婚。抗がん剤の副作用であきらめていた妊娠。
がん再発のリスクが高まると知りながら決意した出産。そして一度は回復したがんの肺への転移・・・。
千恵さんは、過酷な運命と対じしながらも、前向きに日々の生活を見直し、食事を玄米食へと切り替え、そして残していく娘には、ひとりでも生きていけるようにと食事の大切さと料理を教えました。
明るい博多弁で自らの心境や、残していく娘や夫への思いを込めた文章は、多くの人の胸を打ち続けています。
番組ではキャンベルさんが書籍の魅力をご紹介するとともに、千恵さんを支え続けた夫の信吾さんと娘のはなちゃんに、今は亡き千恵さんへの思いなど、たっぷりとお話を伺いました。
VTR及びスタジオで紹介した書籍「はなちゃんのみそ汁」
安武信吾、千恵、はな/文藝春秋(電話:03−3265−1211)
初版:2012年3月
昨日の夜、アカルイ ☆ ミライというバラエティ番組を見ました。
この番組は毎月出版される新刊書やベストセラーの中から、いろんな情報を発信する番組・・。
とHPに出ていました。
芸能人が本シェルジュとして、一冊の本を取り上げ、
その本に書かれていることを伝える・・という感じで進められていく番組です。
その中で、《はなちゃんのみそ汁》とい本も取り上げられていました。
はなちゃんは、今小学校3年生です。
毎日みそ汁を作ります。
5歳からの日課です。
お母さんは・・はなちゃんが5歳のときガンで亡くなりました。
33歳の若さで・・。
お母さんが乳がんになったのは、まだはなちゃんが生まれていない・・頃。
当時、20代のお母さんはお父さんと結婚の約束をしていましたが、まだ結婚はしていませんでした。
でも、お父さんは病気もお母さんの一部、全部ひっくるめて愛そうと思ったそうです。
そして、子供は無理でしようといわれたこのご夫婦にはなちゃんが授かりました。
乳がんの発祥、結婚、出産・・をへて、肺がんに転移という過酷な運命の中、
お母さんは、いつも明るく・・
そして、はなちゃんに、「食べることは生きること。一人でも生きられる力をつけて」ということを教えて、この世を去られました。
はなちゃんは、料理はもちろんのこと、掃除、洗濯、生活をするために大切な事を
短い期間だったけど・・・お母さんから教わりました。
たくさん、いっぱい・・・。
みそ汁は、鰹節を削るところから始まります。
ハンカチにもちゃんとアイロンをかけます。
はなちゃんは、今朝もみそ汁を作って・・・
きょうも元気に生きています。
生きるって生活すること・・毎日をちゃんと過ごすことなんですね。
はなちゃんのお母さん、安武 千恵さんはずっとブログを続けていらっしゃったそうです。
なくなられた今はご主人が引き継いでいらっしゃるようで
hon.bunshun.jp/sp/hanamis
はな、毎朝のみそ汁つくり、がんばってるよ。天国のママとの約束だからね。
がんで逝った33歳の母が、5歳の娘に遺したもの――
《きっかけは、私の病気でした。
私がいなくなっても、料理ができる旦那なら、安心です。
なぜなら、ご飯を作ることは、生きることと直結しているからです。
ムスメにも、包丁を持たせ、家事を教えます。
勉強は、二の次でいい。
健康で、生きる力が身についていれば、将来どこに行っても、何をしても生きていける。》
人気ブログ『早寝早起き玄米生活~がんとムスメと、時々、旦那~』の一家の物語を、 夫の手記・妻のブログ・娘の手紙でつづります。千恵さんが乳がんの手術を受けたのは、結婚直前のまだ25歳でした。抗がん剤の副作用で諦めていたのに、奇跡的にも妊娠。出産で再発リスクが高まるため、「命がけで産んだ」のが一人娘のはなちゃんです。
ある日、はなちゃんがおっぱいを飲まなくなり、肺がんの再発がわかりました。千恵さんと信吾さんは治療とともに、「食べることは生きること」と食生活の改善にとりくみ「玄米ごはんとみそ汁」の和食生活に。そして、肺がんはいったん消失したのです。
ところが、全身転移が発覚。千恵さんは、はなちゃん5歳の誕生日に約束をします。「毎朝、自分でみそ汁をつくること」。遺していく娘が、一人でも生きていけるように――。
内容(「BOOK」データベースより)
はな、毎朝のみそ汁つくり、がんばってるよ。天国のママとの約束だからね。「朝日新聞」「24時間テレビ」ほかで大反響。人気ブログ「早寝早起き玄米生活」の一家の語。