masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

銀メダルと銅メダルを半分づつ繋ぎ合わせ特別なメダル

今日は曇り空で、気温の割には蒸し暑かったですね。
一日中扇風機を付けてました。
チャンネルを何気なく変えてましたら、アンビリバボーと言う番組で、銀と銅のメダルを半分ずつ繋ぎ合わせたと言ったのを見て、「NHK映像ファイル あの人に会いたい」- 西田修平(棒高跳び選手) -と言う番組を思い出しました。
その時初めて見て、目頭が熱くなったことを思い出しました。
オリンピック棒高跳びのメダリスト、西田修平さん。
西田さんの活躍はライバルの大江季雄さんの健闘と相まって日本人を熱狂させました。
西田さんは和歌山県那智勝浦町に 生まれ、中学時代棒高跳びに興味を持った西田さんはその後日本人初の金メダリスト織田幹雄のもと猛練習をして実力を伸ばしました。
昭和7年に初出場したロサンゼルスオリンピックでは、自己記録を大幅に上回る活躍をし銀メダルを獲得。
4年後のベルリンオリンピックでは同じく日本人でライバルだった大江季雄選手と出場し、棒高跳び決勝に進んだ。
結果はアメリカ人選手が優勝し西田さんと大江さんは同記録となり2位決定戦を行わなければならなかったが、2人で目を合わせた時にお互いに「もうこれでいいか」と思い辞退しました。
しかし記録上は西田さんが1回でクリアしたことで2位に決定しました。
表彰台で西田さんは大江さんに2位の位置に立つように促しました。
西田さんと大江さんは互いの健闘を讃え、獲得した銀メダルと銅メダルを半分づつ繋ぎ合わせ特別なメダルを作りました。
このエピソードは教科書にものり、人々の記憶に残りました。
戦争が始まり、大江季雄さんは戦死してしまいました。
西田さんは現役引退後も東京オリンピックなどで審判長や監督を務めるなど日本の陸上界を支え続けました。