masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

熊本へ物資支援 福島の恩返し

2017/3/9 13:00
熊本地震後に支援物資を詰め込んだコンテナと小幡広宣さん。
天使の絵は東日本大震災後に宇土市の中学生らが描いた=6日、福島県相馬市
「世話になった人たちが飲む水もないと言っている。居ても立ってもいられなかった」。


東日本大震災で被災し、地元福島県相馬市の復興に力を注ぐ小幡広宣さん(40)は、熊本地震後の2016年4月17日、トラックに物資を積んで熊本を目指した。
大震災の時、熊本の仲間が相馬に来てくれたように−。
11年3月11日。沿岸部にあった自宅は津波にのまれた。
家族5人で暮らす避難所に、たくさんの物資を抱えてきたのが、宇土市を中心にまちおこしに取り組むNPO法人代表の上村剛さん(41)だった。
上村さんは前年、ごみ拾いをしながら全国を旅する途中に相馬市を訪問。2人の交流が始まった。
小幡さんは熊本地震の本震後、フェイスブックで支援物資を募った。
所有する7トントラックのコンテナは、水や米、オムツなどですぐいっぱいになった。
「知らない人も協力してくれた。みんなつらさは身に染みているから」。
コンテナには11年夏に相馬市を訪れた宇土市の中学生らが描いた天使の絵。
今度は自分が希望を届ける番だった。
4月19日、約30時間かけて熊本に到着。宇土市益城町、南阿蘇村などの避難所を回った。
「ありがとう、ありがとう」。感謝してくれる姿が当時の自分と重なった。
避難所で物資の運搬も手伝い、車中泊をしながら4日間滞在したという。
  ◇    ◇
この6年、葛藤を抱えながらも必死に前を向いてきた。
相馬市は東京電力福島第1原発から約40キロ。
避難指示区域には指定されなかったが、長男(9)には土を触らせないようにし、地元産の食材は避けた。
ただ、事故から4年が過ぎたころ、疑問が生じた。
「このまま育てば、相馬に愛着や誇りを持てなくなるんじゃないか」
地元の魚介類や野菜は放射性物質の検査をした上で出荷されている。
「信頼できる顔見知りの漁師や農家がちゃんと調べたものなら、安全じゃないかって。
やっぱり新鮮な地元の食材が一番うまい」
そんな思いを共有する7人で15年秋、漁師や農家ら生産者と消費者とをつなぐ活動を始めた。
「そうま食べる通信」と名付け、季節ごとに生産者の思いをつづった冊子を作製。
ミズダコやカレイなど旬の食材と一緒に届けている。
まもなく6度目の“3・11”。「あんな経験をして、いろんな人に出会って、考えも生き方も変わるしかなかった。
それまでの人生を足した時間より濃密だった」。
1年余り前に高台に再建した自宅の家庭菜園で、今は長男と土を耕している。(内田裕之)