masami71の日記

熊本市在住の68歳の年金暮らしです

熊本地震、そのとき東病院は・・・(1)

「今回こそが本番だ」、震災直後から職員が集結
取材・構成:久保田文=日経バイオテク
4月14日21時26分に熊本県で発生した震度7地震は、その後も断続的に強い余震が続き、熊本県中部の益城町を中心に家屋倒壊などの被害が広がっている。
日経メディカルでは4月15日23時、「“虎”の病院経営日記」を連載している東病院(熊本市南区)理事長兼院長の東謙二氏に電話取材を行い、熊本地震発生直後からの病院の状況について聞いた。
本稿はその取材を基に構成したものである。
なお4月16日1時25分に発生した震度6強地震後の対応については、追って続報する。


14日の夜は、珍しく飲みに出ておらず、自宅にいた。
激しい揺れを感じ、本棚は倒れ、ガラスや食器が割れて床に散乱した。これはダメだ……。
病院の診療部長を務める妻と、子供と一緒にすぐに自宅の隣にある病院に向かい、職員と家族が無事であることを確認した。
地震直後から病院には、職員が集まってきた。
医師や看護師だけでなく、リハビリテーションセンターの理学療法士作業療法士老健施設や通所リハの介護福祉士や運転手なども続々とやってきた。
東日本大震災で被災地支援に行った経験から、東病院では職員に常日頃から、「震度5弱以上の地震が発生したら、可能な限り病院に集まるように」と言ってきた。
それ以降これまでに、九州北部豪雨や台風での停電など、何度か非常時を経験したが、その度に多くの職員が自発的に出勤。ホワイトボードに出勤した職員を書き出して、その時々で必要な任務を振り分ける体制が整っていた。
今回こそが本番だ、と思った。
病院には、ウォークインや救急車で徐々に患者が運ばれて来た。
集まった職員は非常時の体制で診療に当たっていた。
ところが22時過ぎ、再び大きな揺れに襲われ、電気が消え、非常用の自家発電に切り替わった。
病院全体が薄暗くなった。停電である。
そこで、50個程度備蓄していた非常用のランタンを病室や診療室に配り、廊下には自家発電で投光器を設置。
診療ができる程度の明るさを確保した。
もっとも、自家発電ではCT検査が行えず、頭部外傷は診られない。
救急隊には「CT検査が必要になるような患者は基幹病院へ送ってほしい。点滴や処置で対応できる患者はこちらで引き受ける」と伝えた。
その後は基幹病院のCT検査で異常がなかったものの全身を打つなどして動けない患者、調理中に地震が来て鍋のお湯で下腿熱傷となった患者、ガラス片や屋根瓦で切創や擦過傷を負った患者などが次々と運び込まれた。
「自宅では夜を過ごせない」という近隣の患者家族も集まってきた。
その数、20〜30人。余震は一向に収まらず、家族を連れた職員も出てきた。
東病院の病床数は63床。50数床はもともと入院患者で埋まっており、救急搬送されて入院となった患者を収容するとベッドには余裕がない。