masami71の日記

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託麻ってどこ? 住所にはない、なじみ深い地名

託麻ってどこ? 住所にはない、なじみ深い地名 東区のイメージ 中央、南区にも 「託麻郡」に由来か
熊本日日新聞 | 2022年8月16日 19:56


熊本市南区出仲間にある託麻中。託麻東(戸島)、託麻西(御領)、託麻南(長嶺東)、託麻北(上南部)の各小学校とは直線距離で8~9キロ離れている
熊本市民にとってなじみ深い地名の一つ「託麻」。
「東区に小学校が複数あるにもかかわらず、離れた南区に託麻中があるのは不思議」との声が、熊日の「SNSこちら編集局」(S編)に寄せられた。託麻とは具体的にどこの地域を指しているのか。
熊本市内に「託麻」が含まれる住所はないが、学校名や施設名、地名に託麻が入っているエリアは東区に多い。
小学校は託麻東(戸島)、託麻西(御領)、託麻南(長嶺東)、託麻北(上南部)。市北東部にある神園山、小山山、戸島山は総称して「託麻三山」と呼ばれるほか、東区長嶺東には東区役所託麻出張所、東区戸島西には九州自動車道・託麻PAもある。

熊本地名研究会の木﨑康弘会長(65)は、現在の託麻は主に東区の一部地域を指すイメージだが「そのイメージは『託麻村』に由来するのではないか」と話す。
託麻村は1955年に現在の熊本インターチェンジや長嶺周辺に位置する広畑、供合、小山戸島の3村が合併して誕生。
70年に熊本市と合併するまでの15年間存在した。
一方で、託麻中(南区出仲間)は、この〝エリア外〟。
木﨑会長によると、その理由はさらに昔の「託麻郡」時代にさかのぼる。
託麻郡は1879年に発足。郡域は広く、現在の中央区の一部(およそ白川以南)と東区の大部分、南区の一部(およそ近見、日吉、南高江、元三町より北東)に及んだ。
その後、96年に飽田郡と合併して飽託郡に。託麻郡時代の名残から中学校の名前が付いた可能性がある。
また、中央区渡鹿には託麻原小があるが、これは託麻郡であったことや、託麻台地の西側にあることから付けられたとみられる。
「熊本の地名」(井上辰雄著)では、託麻の由来として、麻が植えられていた地域だったか、豊かな水に恵まれた地域だったことから水田を意味する「田処間[たくま]」からきた可能性を挙げる。
木﨑会長は、託麻という地名が奈良時代の木簡に記されている点を挙げ「県内でも歴史ある地名の一つ。
古代と現代をつなぐ重要な手がかりになっている」と強調する。(樋口琢郎)