masami71の日記

熊本市在住の72歳の年金暮らしです

トルコ大地震ー2

12日 トルコ南部ハタイ県 親子2人救出

12日 トルコ南部ハタイ県 親子2人救出
トルコ南部ハタイ県では、地震から140時間以上が経過した12日、がれきの下に取り残された親子2人が救出されました。

ロイター通信によりますと、2人は35歳の父親と11歳の娘で救助隊員らが協力して女の子を救出して救急車に乗せると、隊員らは抱き合いながら生還を喜びました。

13日朝 浜田防衛相 医療チームの活動に必要な物資輸送 指示

 
浜田防衛大臣は、外務省から医療チームの活動に必要な資機材を現地に届けるよう要請があったことを受けて13日朝、自衛隊に対して国際緊急援助活動としての輸送を命じました。

これを受けて、自衛隊は13日に政府専用機で輸送を始めることにしていて、北海道の航空自衛隊千歳基地を出発したあと、成田空港で資機材を積み込んだ上で現地に向かうことにしています。

防衛省によりますと、医療チームは現地でテント型の手術病棟を設置して対応にあたることにしていて、資機材の中にはテントや入院ベッド、それに手術台などが含まれるということです。

海外での地震津波などの発生を受けて自衛隊が国際緊急援助活動を実施するのは今回で25回目です。

12日21:00ごろ がれきの中から女の子を救出

 
震源に近いトルコ南部のカフラマンマラシュでは、5000人を超える犠牲者が出ていて、日本の国際緊急援助隊をはじめ、世界各国の救助チームが壊れた建物の下敷きになった人たちの捜索活動を行っています。

12日午後1時ごろ(日本時間午後7時ごろ)、7階建てのアパートが倒壊した現場で、救助隊のひとりが人の声に気付き、電動ドリルなどをつかってがれきを取り除いていきました。

現場では2次災害を防ぐために重機2台のバケット部分を、救助隊の頭上にあるがれきの斜面に押しつけていました。

そしておよそ2時間後の午後3時(日本時間午後9時ごろ)すぎ、がれきの中から救出され体温を保つためのシートにくるまれた女の子が担架に乗せられて、救急車へと運ばれました。

見守っていた人たちは、女の子の体調を気遣い、救急車が出発するまでは、声を出さないようにしていましたが、ひとたび救急車が出発すると、拍手と歓声で喜びを分かち合いました。

北マケドニアから救助活動に参加した男性は「彼女が生き延びてくれたことがうれしい。奇跡としか言いようがない」と話していました。

12日 住宅倒壊の危険度を調査

 
一方で、カフラマンマラシュでは、住宅の被害の程度を確認する調査を地元の市役所が進めています。

12日も職員らが3人1組で倒壊を免れたマンションやアパートを1軒1軒見て回り、外壁や柱、それに、鉄筋の状態などを外から見て確認していました。

この結果をもとに必要に応じて追加調査を行い、倒壊の危険度などを確定させていくということです。

調査に加わった建築の専門家は「建物が危険なら壊さなければならないし、危険が少なければ補強して安全を確保したうえで人々にまた住んでもらえます」と話していました。

この日も、補強すれば住めるようになると判定された建物があった一方で、8階建てのマンションは余震などで倒壊する危険が高いと判定されました。

そして調査にあたった職員がその結果を住民が自分で調べられるように、スマートフォンで読み取れるQRコードを入り口に貼っていました。

このマンションの住人で、今はテントで避難生活を送るムスタファ・アクトゥルクさん(53)は「私たちにとっては唯一の家で、ほかに買ったり借りたりできる家はここにはもうありません。冬のテント暮らしは寒くて厳しく、ほかのまちに移り住むことを考えています」と話していました。

被災地ではボランティアによる炊き出しも

 
トルコ南部の被災地では、国内各地からボランティアが駆けつけ、温かい食事を被災した人たちに提供する炊き出しが続けられています。

このうちカフラマンマラシュの中心部には、被災者を励ましたいと、700キロ余り離れた西部の町からボランティアおよそ50人がバスとトラックなどに分乗し15時間かけて駆けつけました。

ボランティアたちは倒壊したマンションの捜索現場近くに拠点を設けました。

そしてひき肉でつくられるキョフテと呼ばれるハンバーグに似た料理を炭火焼きで作り、野菜とともにパンに挟んで被災者や捜索活動にあたる人などにふるまっていました。

炊き出しには長蛇の列ができ、1万人分用意したという食事は4時間ほどでなくなったということです。

被災して家を失ったという20代の男性は「私たちは1人ではないことを実感しました。支援に感謝しています」と話していました。

呼びかけ人の男性は「被災者は食事を必要としていると思い、駆けつけました。被害は深刻ですが、被災者が前向きになるための力になれればと思います」と話していました。

12日夜 日本からも新たな医療チームを派遣

 
今回の地震では8万人を超えるけが人が出ているほか、病院などの医療機関も多数被害を受けていると報告されています。

こうした中、新たに国際緊急援助隊の医療チームが派遣されることになり、12日夜、羽田空港に医師や看護師、薬剤師など36人が集まりました。

被災地では長時間、がれきの下敷きとなることで体にたまった毒性物質が全身に回り、命を落とすこともある「クラッシュ症候群」の患者が多く見込まれるため、日本の医療チームは救助隊で唯一、救出後に必要になる人工透析の装置を持ち込み、治療にあたるということです。

チームには東日本大震災で被災した経験を持つ人もいて、岩手医科大学の藤原弘之さんは「12年前の被災地と同じような被害が報じられているため、被災者に寄り添った支援を行いたい」と話していました。
医療チームの副団長を務める日本医科大学武蔵小杉病院の井上潤一医師は「今も氷点下の過酷な環境の中、心細い思いで支援を待つ人も多いと思う。少しでもトルコの皆さんの力になれるように活動したい」と話していました。

医療チームはイスタンブールを経由して被災地の病院などに入り、今月24日まで活動を行うことにしています。